top top
top top
top











にごりえ    

VOL.47

 『戦争と青春』を撮り終えて逝った今井正監督が、戦後、東宝をレッド・パージ後、新世紀+文学座で撮った一篇が『にごりえ』('53)。原作者樋口一葉の短篇『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』のオムニバス三話。タイトル・ロールの主人公お力(淡島千景)は新開地で躰を売る“菊の井”の看板酌婦。
 夜な夜な燗酒をあおって、白粉で自分を誤魔化す。時は明治、酒と云えば日本酒しか無い。かつて「酒のぬめりを取るには蕎麦が一番だ」と溝口建二に云わしめた程度の、口にまとわりつく日本酒だ。お力の生立ちも、日本酒の如くまとわり付いて、心深く閉ざされている。――ある晩のこと、既に馴染みの客となった華族風の身成りの男(山村聡)に訳を迫られたお力は、燗酒をあおった勢いを借りて、生れて初めて自分の過去を吐露する。男の胸の中で心開くかにみえるのだが……。
 「行かれる物なら此のまま唐天竺の果てまでも行って仕舞いたい。ああ嫌だ嫌だ…」と嘆きは深く、頭痛が襲う。お力は頭痛持ちの一葉の分身として描かれていて、こうした一葉を「思想がない。創造がない。彼女の生涯は否定の価値だ。“過去の日本の女”であった」と、斬ったのは平塚らいてう(「円窓」大正二年五月号)である。
 今井正の入念なリアリズム演出は、当年の毎日映画賞、監督賞、キネマ旬報ベスト・ワンを獲得した。