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武蔵野夫人     

VOL.44

 当時ベストセラーだった大岡昇平の原作『武蔵野夫人』('51)を、名匠溝口健二が映画化した。
 父から遺された土地と家を守ろうとする道子(田中絹代)は、復員してきた若い従弟勉(片山明彦)に愛情を持って接するが、古風な倫理感を通し貞節を守る。スタンダールかぶれの大学教授の夫秋山(森雅之)は、妻の従兄の妻富子(轟夕起子)と姦通し、その富子は勉に色仕掛けで迫る。人格の欠けた秋山は、講議でジュリアン・ソレルを例えに姦通の正当性を得意気に話す。大学に復帰した勉は同級の女のアパートで堕落する――「私達は肉体の主体性を確立したいのよ。肉体をいじめたいのよ。そこにカタルシスが…」「ばかいうな、肉体をいじめたら傷ついた肉体しか残らないよ」と主体性(アプレゲール)論争に酔いながらサントリー角瓶を飲る。'37年発売の亀甲瓶型は当時高嶺の花、おんば日傘のお嬢さんが角瓶片手に主体性云々が、いかにもアプレで面白い。
 有閑マダムのよろめき代名詞のように云われたが、話は複雑な愛憎模様が赤裸々に続き、周囲の色と欲に絶望した道子が、武蔵野と自分が真実愛す勉に遺産を遺し、自殺を選ぶ悲劇で終わる。道子と勉が散策する恋ヶ窪や野川や湧水を抱く武蔵野の景観は今や昔、映画の中でしか窺い知れぬ。
 溝口の戦後の不振は当作まで続き、世界の溝口の本領は次の『西鶴一代女』を待たねばならなかった。