top top
top top
top










殺しの烙印
VOL.49

 “分らん映画を撮る奴はいらん”と時の日活社長の怒りを買い、鈴木清順解雇事件の発端となったのが『殺しの烙印』('67)。後日、共闘会議が組織されるが映画界から干され、十年後『悲恋物語』('77松竹)で戻ってきた時は、中国髭を蓄えた白毛男になっていた。
 導入部、いきなりバーに入るや、――「飯を炊けといってるんだ!」「はぁ?」とバーテンダー。「ライスの事よ、私はジョニ黒のダブル」と、女房が注文する程、飯の炊ける匂いがたまらない主人公の殺し屋NO.3(宍戸錠)の部屋の必需品は、ベッドと裸の女房(実は組織の殺し屋で「男と女の名誉」的夫婦なのだ)と、そして何よりパロマガス炊飯器。ドジを踏んだ主人公はランキングからも外され、命を狙われる。単身組織に向う他ない。殺し屋NO.1の南原宏治との戦いが始まる。
 ある'60年代の思想であったとも云える〈劇画的〉なコマの中に様式を埋め、人物を無機質的に劇画化するハードボイルドは、同時に悲しい程の滑稽でもあるピカレスク・ロマンなのだ。だから当時、四分五裂組織の流れの中にいた充血のピカロ達にとっちゃ、プロの殺し屋としての自己同一性(セルファイデンティティ)に躊躇と疑問を抱く主人公の滑稽な姿は、映画が切り結ぶスクリーン的交感だった。脇役ピカロ宍戸錠はこの年、他に『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(野村孝)と『みな殺しの拳銃』(長谷部安春)に主演し、ミッキー・スピレーンを海の向こうに廻し、ピカレスク俳優として確立した。