Flaneur, Rhum & Pop Culture
巨大な空洞化の中で<昭和>は終わった
[ZIPANGU NEWS vol.81]より
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 89年2月24日、J・F・ケネディ空港を発った飛行機で12日振りに成田空港に着いた。タクシーに乗ると道路はすいていた。都内に入ると冷雨に濡れた道路は更にすいていた。道路だけでなく町という町が人気の無い伽藍堂のようになっていた。そんな光景は生まれてこのかた見たことは無かった。運転手に訝って訊くと、「エッ、お客さん知らないんですか?今日はタイソウノレイの日ですよ」「エッ、タ・イ・ソ・ウ・ノ・レ・イ?」「天皇陛下の葬式ですよ。その大喪の礼です」と運転手が言って「ウーム…」となった俺は黙って車窓からその大喪の礼の町に目をやった。
 ロスアンジェルス〜サンディエゴ〜ニューヨークと回ってきた小旅行の出発前に慌ただしく試写で観た『バグダット・カフェ』('87 パーシー・アドロン監督)のモハーベ砂漠にぽつんと一軒建ったカフェの佇まいの映像や、ジェヴェッタ・スティールの歌う主題歌『コーリング・ユー』の澄み切った声が耳に入ってきた。オッと間違えた?入ってきたのはカバーしたホリー・コールの方の『コーリング・ユー』だったかも知れない。当時聴き比べてカバーの方が良いと周辺に言いふらしていたからだ。翌日やはり試写で『レインマン』('88 バリー・レビンソン監督)を観た。明らかにアメリカ的なヒューマニズムと正義を描いた力強いホームドラマだったが、こういった映画は好きになれないなぁと性格を自己分析する。翌日は、またも試写『モダーンズ』('88 アラン・ルドルフ監督)だった。ベルエポックからアールデコに移り行くパリの20年代に、有名絵画と贋作絵画を巡って絡み合う複数の男女を描いているが、マーク・アイシャムの当時のパリ社交界とそのアンニュイさを醸し出したテーマ音楽がルフランして、そうだった、撮影は栗田豊通だったなどと、車窓からお化けになった町を眺めながら自動記述のように取り留めもなく思い出していたら、3日連続の試写会の翌日、2月10日朝に衝撃的な事件が起きたのだった。
 栃木県の大谷石の採掘現場が陥没した。初めてそこを訪ねたのは、確か86年に山本寛斎がファッション・ショウを彼らしく外連みたっぷりにやった時、朝日新聞社の取材車に同乗して行った。その後、舞踏集団の山海塾を見に行ったりしたが、韓国のサックス奏者、姜泰煥のコンサートを実現したのは21世紀になってからだ。地下採掘場跡は、広さ2万平方メートル、深さ30メートルもある。奈良時代から採掘されてきた大谷石は火に強く加工しやすく肌合いの色も良く、改装前の帝国ホテルにも使われていて、大谷町に近づくと家という家の門扉や垣根の土台は皆大谷石を使用していて独特の景観を現してくる。巨大な穴に下っていった者は皆その人工だが自然の技とも言える巨大地下空間の偉容に圧倒されるだろう。今でも人はその巨大空洞の宇宙で歌舞音曲や美術展をやりたがっている。
 まだ大喪の礼の真っ最中らしい東京の街をタクシーは楽々と走り続けている。前日の深夜アルゴンキン・ホテルの「ブルー・バー」で待ち合わせた俺たち3人は、もうちょっと飲みたいよなと言って、近所を探して入った「ジミーズ・コーナー」というボクシング・バー?で、「初のヘビー級黒人チャンピオンはジャック・ジョンソンで、マイルスが彼を讃えたレコードを出しているのだ!」などとはしゃいでいて、190センチはある黒人ボクサー3人から絡まれた時、元ヘビー級黒人ボクサーの店主ジミーに助けてもらわなかったら、凍り付いたマンハッタンの路上で半殺しの目にあって凍死してたかもしれなかったし、成田空港で到着の電話を家に入れた時、J・F・ケネディ空港を同時に立った同じユナイテッド航空のオーストラリア行きが空中で扉が開いて墜落したと知らされた。帰国した日が大喪の礼とは何と言うことなのか!
 下北沢へ帰宅して早速テレビを付けると音楽やCMは全く排除されていた。9時から始まっていたらしい大喪の儀式は終了したのかまだなのか、17時30分を過ぎても特別報道番組だけを流していて、公共施設、デパート、映画館も自主閉館して日本中から歌舞音曲が消えた。<昭和の終焉>の儀式はリクルートで金まみれ消費税で政治不信の総理大臣竹下登の内閣によって行われた。俺は自分自身の昭和のために厄払いの線香を仏壇に捧げた。