Flaneur, Rhum & Pop Culture
幻の『空中庭園クァルテット+小林靖宏』
[ZIPANGU NEWS vol.71]より
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 16日間のヨーロッパ一人旅を終えて帰って来たのが1988年5月28日だった。店を長く留守をさせた申し訳ない気持ちで、「レディ・ジェーン」に挨拶をして西麻布の「ロマーニッシェス・カフェ」に駆けつけると、出演ミュージシャンがリハーサルをやっていた。当夜の出演は、ヴァイオリンの白浜桜子率いるコラール弦楽四重奏と、やはりヴァイオリンの後藤龍伸率いるバンガード弦楽四重奏が合体新編成した「空中庭園クァルテット」(両角里香vla、渡辺辰紀vc)に、アコーディオンの小林靖宏を加えたメンバーだった。弦楽四重奏が入るのは「斎藤ネコクァルテット」に続いて2番目だったが、事は小林靖宏だった。事と言うのは、彼は既にイタリヤのアコーディオン・コンクールを制覇した逸材だったにもかかわらず、ジャンルにこだわる偏狭なライブの店だらけで、テレビで活躍していた横森良三のイメージが強くて、のど自慢の伴奏楽器くらいにしか見られていなかった。クラッシックですか?ジャズですか?ロックですか?タンゴですか?シャンソンですか?せいぜいそれくらいしか知らないジャンルをカテゴライズしなければ許さない、当時の日本のレコード店やライブ空間や音楽業界には元々うんざりしていたので、「どうぞうちで」と言って実現したのだが、仕掛けたのは良く両店に来てくれていたアトリエダンカンの中條富美男だった。小林靖宏とは言わずもがなその後ビョークと世界ツアーを廻ったりして、世間をブリブリ言わせているCobaのことだ。
 さてその夜はクルト・ワイルの「マック・ザ・ナイフ」から始まって、小林靖宏や後藤龍伸のオリジナルを挟みながらチャップリン映画のアンソロジーへと続く。ニーノロータの「若者のすべて」や「道」は掌中のものだっただろう。映像が浮かんでくれば沁み入り度が違った。そして厳粛な響きを漂わせたバロックの調べ、J・S・バッハの「プレリュードとフーガ」で一部を終えた。二部は一部の余韻と休憩時間のアルコールが入って、客は始まる前から興奮していた。俺はと言うと、何曲か終えた終わり頃だったが、決定的な衝撃が後頭部を襲った。オギンスキーの『ポロネーズ』だったからだ。当時も今もあらゆる映画のなかで1番好きな青春映画と言っても良いアンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』の主題曲だった。各シーンシーンはおろか各カットさえ覚えていると言いたい程何度も観たバイブルのような映画だ。ジェットラグなど何処かへ行って、チブルスキー扮する主人公のマチェックの悲しみと哀れみが一小節一小節肝に気持ち良く落ちて行った。ホテルのバーのカウンターにウオッカの入った多くのショットグラスを並べて、火を点けながら死んだ仲間の名を呼ぶシーン、共産党地区委員長シュツーカを暗殺したときの花火、クリスチーナと灰の下のダイヤモンドを夢想した廃墟、虫のようにゴミの中でのたうち回るマチェック、そんな俺の感傷を打ち消すようにラストの大作、ヨハン・シュトラウスのウインナ・ワルツ『南国のバラ』が始まり、客は居ながらにしてハプスブルグ家の舞踏会へと飲み込まれて行くのだった。そして終演。あんなアプローズ、あんなチェアー、あんなオベーションは俺が関わったライブコンサートで後にも先にも見た事はない。怒号のようなブラボーとアンコールの声援と拍手は終わらなかった。自分で言うと気持ち悪いのだが事実だった。余談を言うと、9月24日に再演をやった時には、既に音楽評論家の知る所となっていて、どういった音楽やミュージシャンを発掘しようとしてたか忘れたが、丁度同時期にCBS-SONYが新人発掘のコンペをやっていて、『空中庭園クァルテット+小林靖宏』はグランプリを勝ち取ったのだった。だがクラッシックなのかジャズなのかロックなのかタンゴなのかシャンソンなのか、多分始末に困ったCBS-SONYはレコード1枚出すでもなく、何の保証も無く只の紙切れグランプリに終わらせてしまったのだ。日本の音楽環境は斯ように傍若無人で礼節を欠いて貧しかったのだよ。
 Cobaは今でも会うと、「あの日、ベルリンから俺たちのライブに間に合わせるために帰って来てくれたんだよね」と言う。そうしておけば、お互いにいつまでも気持ち良い記憶として残せておけるじゃないか。