Flaneur, Rhum & Pop Culture
音食同源おいしい食い方
[ZIPANGU NEWS vol.53]より
LADY JANE LOGO











 一昨年から企画制作しているオリエンタルホテル広島のコンサートを終えて昨夜帰ってきた。出演は今堀恒雄率いる「ウンベルティポ」のトリオだった。演奏後ホテルの最上階のレストランで打上げをやっていると、他の会場でライブを終えたカルメン・マキと太田恵資がやって来て、「近くでこっちも打上げやるから後で合流しない?」と誘いがあった。閉店時間までいると1時を廻っていたが、皆で誘いに乗ることにした。ギャラリー客を同席させて俺たちよりにぎやかだった敵の打上げは、気がついた時には5時を過ぎていた。「なんだなんだ、帰ろう」と言って千鳥足を急がすと、事務所のシステマの澤井宏始が横路地を1人折れた。「お好み焼きを食べなきゃ帰れない」といって店を探しに行ったのだ。俺は今から探したってある訳がないと思ったが、翌昼会うと案の定何処も閉っていたそうだ。地元出身の彼は広島に帰った時は、お好み焼を食べるのが広島人としての矜持であり挨拶だったのだ。同じ広島出身の俺は故郷に冷やかを装うけど、彼流の気持は判るのだった。そして澤井宏始と俺はお互いに持っているという自家製特注鉄板の自慢話になっていった。真昼間のホテルのロビーで一体何の話をしているのだろうか?!
 1987年2月、画家の松井守男展に行った。松井守男はフランスのコルシカ島に住み、00年フランス政府より芸術文化勲章シュバリエ章、03年には最高位のレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を受賞している画家だ。城のような豪邸に住み創作を続けているが、画商を間に入れないので、希望者はコルシカは松井邸まで買い求めに訪ねているらしい。モナコ国王もしかり。なる程、今年の年明け、旧知の能楽大鼓方の大倉正之助から、モナコのオペラハウスで日本人初の能舞台をやるから観に来ないかという案内状が届いたが、そうした交友関係が下地にあったのか。コルシカ島では〈松井守男vs大倉正之助〉も用意されていた。来ないかと言われたって、高い入場料は招待でも旅費も掛かればホテル代も日数も掛かる。丁重にお断わりするしかなかった。余談はさておき、彼の絵は〈生の躍動を細密な筆致で描く〉、点描の重ねなので時間が超大にかかり、故にコルシカの光は必要だったのだろう。だが後年代表作と言われている絵は、87年前後の苦労時代にパリで創作されたものだ。その日は2月3日の節分だった。42歳という本厄の年齢が内なる鬼を追い出せないでいた。会場の草月ギャラリーではレセプションの日だったので、暫くすると高田みどりの打楽器演奏が始まった。彼女は「レディ・ジェーン」に土岐英史が高瀬アキを呼んで、高瀬アキが高田みどりを呼んで、高田みどりがYAS-KAZを呼んでといった、ひと昔の連鎖から親しかった。彼女のプレイはギャラリーによく似合う。ステージとは違った演奏気配をよく知っているのだ、と同時に一緒に絵を描きながら演奏しているのだ。画展を企画した故本木昭子と長井礼子(現初見改名)が側にやってきて、後で松井守男を俺の店に連れて行くと言った。そしてその夜、打ち上げの席「ロマーニッシェス・カフェ」で、先述の鉄板と俺の腕前を披露する、〈松井守男を慰労するお好み焼パーティ〉が何故か決まってしまったのだ。どうした理由かさっぱり記憶にないが、自分で吹かしたに決まってる。
 数日後、昼から下北沢の拙宅に90センチ角の鉄板をセットして、油を敷き長時間空焼きする。豚バラ、イカ天、粉鰹、とろろ昆布、玉子、海鮮を仕入れ、キャベツ8個をコールスローする。特製ソースをブレンドする。小麦粉を溶いて準備万端。夕刻集まって来たお客には、ビールに木の子やアスパラの鉄板焼きでアペリティフしてもらい、いざ開始!20人も来れば40枚は焼く訳で、おっと家族サービスもあるか、だから鉄板の高さは微妙で重要なのだ。
 と、自慢話になってしまったか。自慢したって一文の得にもなりはしない。あの時、無理をしてでも松井守男の作品を、1点でも買っておけば良かったのだ、クソッ!