Flaneur, Rhum & Pop Culture

「MILES TONE」も「MILE STONE(一里塚)」から旅立った
[ZIPANGU NEWS vol.39]より
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 今朝(4月17日)の東京新聞の筆洗氏が「空気」と「自己責任」について書いていた。自己流に解釈すると、地雷を踏んだ者は当人の自己責任だという空気に覆われていて、地雷を埋めた事の次第は問われないで、本質を見失っているということだ。自己責任を押しつけられた落し子たちは音楽には癒しを入れて安涙を流して喜ぶし、映画は恋人や少年少女を不治の病で殺せば大ヒットする世の中になっちまってるね。

 「レディ・ジェーン」は今33年目を迎えているが、1985年2月4日、青山のベルコモンズで10周年のアニバーサリー・イベントをやったことに前号で触れた。ドラムの森山威男をバンマスにした即席10周年記念バンドは、橋本一子、吉野弘志、林栄一他の面々で、パーティを無視したストレート・アヘッドなハードバップ・ジャズで300人の列席の面々のド肝を抜いたが、それに先がけて発起人代表の松田優作のスピーチが印象に残った。「出来たばかりの頃は暫くそのじゃじゃ馬振りを発揮していたジェーン嬢であったが、10年を経る中で社会経験を積んで、酸いも甘いも噛み分ける字義通りのレディ・ジェーンになってきたようだ」というような挨拶だった。二次会は下北沢に戻って来て「レディ・ジェーン」でやったのだが、俺も40歳を直後に控えて、たかだかではあるが過去10年を脳裡で振り返っていた。狭い店内は自我の強い俳優やミュージシャンや写真家やデザイナーでごった返していた。と、ひとつのテーブルで初対面の俳優とミュージシャンが事を起こしたからもう止まらなかった。〈レディ〉になった筈のジェーンが、ところがどっこい、まだまだ〈じゃじゃ馬〉のジェーンだったのだ。早速、血しぶきが吹き飛ぶ騒動に発展してしまった。そこで過去10年の記憶が鮮明に浮んだのだ。

 75年1月にオープンして直後、新宿ゴールデン街にいつも集結していたゲバルト部隊の5人がやって来た。勿論襲撃ではなくて祝儀にやって来たのだ。ところが先客に俺の芝居仲間の4人組がいて、丁度掛かっていた赤本圭一郎のサントラLPの1曲(ジャズの店でだ)について評価が分かれ、あっという間に乱場となった。グラスは割れ、椅子は壊れて、サントリーホワイトの瓶で殴られた俳優の頭が割れて血が吹き出した。何処からか通報を受けた北沢署のパトカーがやって来た時には、セクトのゲバルト組は逃げ去っていて、張ったばかりの床カーペットは真っ赤に染まっていた。主人として北沢署に連行され、長時間事情調書はとられるは、熱い祝儀にほとほと呆れたが、お陰でこちらの態度は明確になった。日も置かずヤクザがみかじめ料を要求にやってきた。断ると又来た。何日も来たが最後に「そんな態度でいいのか、憶えておけ」と脅し文句で帰っていった。暫くしてスーツ、ネクタイの身なりの良い青年がやってきて、名刺を出すと「新日本経済○○」という経済ヤクザの名刺だった。「来たでしょう?僕が追っ払いますよ」と言った。ふざけろと思ったが、慶大出の青年はジャズが、特にコルトレーンが好きだと言った。ジャズなら俺の方が上だ。青年はボトル・キープの常連になって一時平穏は戻った。

 1枚のレコードやひとつの映画は、論争を生み喧嘩を作り、そこに政治でも入ればもう後戻りは出来ない。今、6人の発起人の内3人はこの世にいない。時の流れを感じずにはおれないが、人生や生と死、陶酔や覚醒に与える〈音楽の力〉、〈映画の力〉は何処を彷徨っているのだろうか?!今、世に出る音楽は殆んどが商品、癒しという商品で『千の風になって』マーケティング・リサーチという薄い時代の〈空気〉を読んでも、それは意図された音楽の名を借りた企画物品に過ぎない。誰かが見破っても、それを言動には表わさない、表わすと損だという〈空気〉に支配されている。「MILES TONE」も己が「MILE STONE」から旅立ったのだぞ。