Flaneur, Rhum & Pop Culture

路地から生まれた『東京チンドン』
[ZIPANGU NEWS vol.36]より
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 1984年も、その年のニューイヤー・ロック・フェスを渋谷の西武劇場(現パルコ劇場)で聴いてから、同じ渋谷の映画館パンテオン(去年か一昨年閉館)でジャズを聴くハシゴが、例年の年納めの習わしにしていた。ダウンタウン・ブギウギ・バンドの千野秀一を西武劇場で聴いた足で、パンテオンに行ってみると、坂田明のワハハ・オーケストラのグランド・ピアノに千野秀一が座っていて、まったく違うプレイ(当り前か)をしたりしていた。そして新年2日は、伊豆は天城湯ヶ島の立田旅館で正月気分を味わった。1人モーターバイク旅をしていた松田優作がふらりと入った旅館だったが、すごく良かったと紹介された狩野川を背にした名宿だった。―正月には門松を立て注連縄を張り、若水を汲んで御供を祭壇に供えて歳神をまつる。とそれくらいはする。その年は下北沢「レディ・ジェーン」を1軒だけ経営するのんびり出来た最後の正月だった。

 新年の挨拶は〈お目出とう〉と言う。しかしめでたいとは何の意なのか?何をどう愛でれば良いのだろうか?その年西麻布に開店したライブもやるバー&レストラン「ロマーニッシェス・カフェ」で、毎月発行していたライブ情報や著名ゲストのエッセイ等に混って、時世を織り込んで諺を皮肉った「乱用ことわざ辞典」という、わが拙ないエッセイを思い出してその冊子を引っ張り出してみた。われながら面白い、といっても苦味を多分に含んだ面白味なのであるが、例えばある年の新年号に〈鰯の頭も信心から〉とある。本意は「つまらないものでも信心すれば、ありがたく思われること」だ。「鰯は海水を離れるとすぐ死ぬ弱い魚で弱し=イワシ=賤シイ魚となる。日本人は日の丸を離れられない弱い賤しい鰯なのか」とあり、別の新年号では〈ゴマメの歯軋り〉では、米を手離して平気な日本政府と、「未公開株に興じる国会の鰯どもに対し『米を守らなければ日本は滅びる』と、今宮沢賢治ともいうべき井上ひさしの論陣」を応援して、アメリカへ「おうかがい外交の伝統を継ぐもう1人の宮沢(喜一)に、ゴマメの歯軋りを繰り返している」と。又別の新年では〈羊頭狗肉〉とあって、「アイリスがひまわりを抜いた」とある。「何のことか?!ゴッホの絵のことだ。落札66億円、又も日本人らしい」とマネーゲームを嘆いている。何がお目出たいものか。20年前と何も変ってないどころかその頻度は深みを増している。

 今『世界はときどき美しい』という映画の音楽プロデュースをしている。昨秋東京国際映画祭の“ある視点”部門に招聘された。監督の御法川修が初の本篇作品ということで、進行をぐずぐずしていたせいで、つまり大事に温めていたせいで選ばれ、3月下旬遂に封切り公開が決まった。5話の話をコンセプトで1本に繋いだオムニバス映画だ。その2話目で柄本明扮した愛すべき『バー・フライ』の話がある。生業はサンドイッチマンだ。俺はその中の1曲にサックス奏者篠田昌己&長谷川宣伝社のチンドン音楽『竹に雀』を使うことに決めた。
 音楽産業色の音楽業界にあって行き詰まりを感じていた篠田昌己は、下北沢の路地のパチンコ屋の前で演奏しているチンドン音楽を偶然聞いて、即座にこれだ!と直感しその世界に入っていった。「レディ・ジェーン」も「ロマーニッシェス・カフェ」にも篠田昌己は何度も出演した。ここで又乱用ことわざ辞典だ。

 93年1月号は〈葬礼帰りの医者話〉だ。「暮れも押し迫った12月9日、篠田昌己という若干33歳のサックス奏者が突然逝った。「本望の死」と彼の姉は語ったがどうなのだろう。“ジャズに殺られた”と思った。彼の残した『コンポステラ』のフリンジ音楽、『東京チンドン』のファンキーな平明感を幾人が知るのだろうか」−新年よりは音楽を愛でたいと思うのだが。