Flaneur, Rhum & Pop Culture

『花心』は再見の心に満ちて
[ZIPANGU NEWS vol.32]より
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 この9月17日は、中国の大連にあるイタリアン・レストラン「Le Cafe(カフェ) Igossso(イゴッソウ)」の10周年のアニバーサリィ・パーティだった。それで大連に出掛けた。と突然大連の話が出てきても、何のことやら判らない。「Le Cafe Igossso」という店は藤崎森久と宮中隆が‘96年に立ち上げた店だ。何故中国にしかも大連にという理由はあるらしい。2年経った‘98年には大連で一番の有名店になっていた。大連在留の日本人始め諸外国人の舌と胃袋を満足させた後は、バーカウンターでデジャフティフを愉しむという、当時としては最先端のスタイルで、各界名士が出会う場として成立していった。やがて恐る恐る中国人も来るようになった。

 俺がそんな店の共同経営者となっていったのは、ある事情で創業者の宮中隆が去っていった‘99年にかかる頃、入れ替わるようにだった。それというのも、一方の創業者藤崎森久が「レディ・ジェーン」の調理人として働いていたという事情があった故のことだった。彼の説得に負けて共同経営者になったものの、そんな状態を維持している店舗故、特別改めていじり廻すこともなく、ましてや中国に頻繁に出掛ける時間的余裕も言葉の勉強(今でも尚)も無かったので、やることは活動部分のひとつ、音楽ユニットを組んで日中間を往来することだった。飲食文化に加えて音楽文化で交友の機会と更なる足場固めを自分の役目にしようと考えた。ところが中国ともなれば、公演許可の問題、ビザの問題、細かな手続きを公共民間問わず言ってくるので、航空会社やホテル、○○有限公司やホールの持ち主の協賛協力がなければ叶うものではない。それに輪をかけて難しいのは、同じ東アジアの国でありながら、中国の一般市民の思考方法や生活慣習の違いは決定的に異なるので、迂闊にことを進めて行っても、同行のミュージシャンたちに心外な結果を残すことになる。ここは普段の自己流やり方は捨てて、石橋を壊れるくらい叩いて渡ることを心掛けねばならなかった。と言っても今に始まった訳ではないが。

 その甲斐あってか、ヴォーカル・高瀬麻理子ことマコリン、ヴァイオリン・太田恵資、タブラ・吉見征樹の変則ユニットの演奏を中軸にした今回の企画イベントは、成功したようだったと自画自賛しておくとしよう。アンコール曲の『花心(ホワシン=花)』が300名の客の心の置土産になったのだから。

 翌日昼東京に帰るミュージシャン一行を大連空港で見送った俺は、国内便で上海に飛んだ。上海に取り立てて用事があった訳では無いが、特に親しんでいる店が2軒程ある。たまたま去年の秋から赴任しているサラリーマンの弟の家に荷を降ろして、その2軒を訪ねた。タクシーで豫園、外灘(ワイタン)、新天地と観光名所経由して、錦江(ジンジャン)飯店(ホテル)に向かう。広大な敷地を持つ多分上海で最も古いホテルのひとつだ。そこの旧館の1階に目指す約100坪の中華レストラン「音(イン)」がある。錦江飯店の中庭を借景にして、古木の内装と古い調度品に囲まれた薄味のヌーベル・シノワが好きだ。こってりと甘い豪華な上海料理も旨い。「音」のオーナーは前述の宮中隆なのだ。次に目指したのは、宮中隆が最初に出したフレンチ・レストラン&バー(現在スパニッシュに変更)「Le Garcon(ギャルソン) Chinoi(シノワ)」だが、‘99年の或る日、「レディ・ジェーン」の大事なバーマンとして手取り足取り教え鍛えた宇部麻衣子が、頭を下げて上海行きの許しを請うた所以のある店でもある。

 元を正せば「レディ・ジェーン」から何故か斯くの如く中国各地に飛んで行ったかと思うと少し感慨深くなる。世界一のビル開発を続ける河向こう(浦(プー)東(トン))を興味の外に押しやって、下北沢便りを上海の宿で書いている。

 大連再見!上海再見!