Flaneur, Rhum & Pop Culture
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奪還せよ! 『ゴジラ』ファイナルミッション
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.15

 ここ数年「昭和」という時代に何を求めてか見直されていて、特に三十年代の暮しに関わる本や写真集やヒット歌謡などが数多く出版されている。西暦でいえば一九五五年からに当り、朝鮮戦争特需がバウンドした神武景気は、電化製品の購買欲を煽り都市集中を促した。ともかく、生活スタイルがガラリと変った時代で、その時代の勢いと温かみを懐かしもうとしているのだろうか? 日常の衣服は大抵どこでも普及率の高かった家庭用ミシンで縫っていたし、牛乳が取れない貧乏でも、牛乳配達の音で起こされていた。だが、電気洗濯機と電気冷蔵庫と共に、三種の神器といわれていた白黒テレビの普及は、昭和三十四年、時の皇太子(現天皇)と正田美智子が結婚した時、家電メーカーがパレード中継を見せようと商戦を繰り広げて以降だった。まだまだ映画は勢いがあった。『ゴジラ』の第一作目が作られたのはそんな昭和二十九年だった。
 インドネシアとの共作映画が製作中止になって、元々映画『キングコング』(33)に魅せられていたプロデューサーの田中友幸は、東宝で日本初の怪獣映画を撮ろうと、本多猪四郎監督と円谷英二特技監督と三人、いい歳をしておもちゃと睨めっこしていたらしい。その年の三月、アメリカが行なったビギニ環礁水爆実験により、第五福竜丸が被災し無線長の久保山愛吉は死の灰を浴びて死んだ。「水爆マグロ」と「放射線雨」と共に強いメッセージとなり、時の外相岡崎勝男の「米国の核実験阻止は日本としてすべきでない」との発言を尻目に、ゴリラとクジラを合成した怪獣は、T人間が作り出した水爆の犠牲者Uで、水爆の生体となったゴジラによって復讐されるという構図を生み出したが、それ故、その関係は凄絶だが悲しみに満ちてなければならない。
 かくて二十九年十一月、日本最初の空想科学特撮映画『ゴジラ』は封切られた。瞬く間に事情を良く把握しない俺も含めた子供たちに大人気となり、あろうことか、アメリカでも日本映画初ロードショー公開され大評判を取った。口から吐く放射能線で大東京を廃墟と化したゴジラが遂に、芦沢教授(平田昭彦)が発明した水中酸素破壊剤で憤死した時、古生物学者の志村喬が「ゴジラが最後の一匹だと思えない」と重く呟いて終るのだが、台詞は現実となって以後連作を重ね、〇二年までに二十六本と海外版二本を撮っている。
 早くも三作目では、キングコングを登場させて日米のモンスターの対決で空前の超大作としたが、ゴジラは地震や台風の自然の力と同様で、ゴジラの襲来は自然災害だという視点に新鮮味を感じた。四作目の『ゴジラ対モスラ』(64)では、日本の守護獣にモスラを登場させ、対決する主人公が凶悪獣というゴジラの呪われた運命は更に切なく映画は面白い。以降、水野久美は魅力でも、地球征服を企むX星人やらが操る怪獣同士が無邪気に戦うなど、安易な製作姿勢が目を覆う。公害を食べて巨大成長するヘドラの不気味さと同時代的な主張で、中々画面に魅入られた『ゴジラ対ヘドラ』(71)を例外とするが、八九年まで待って大森一樹が『ゴジラvsビオランテ』でやっと人間と怪獣の物語に戻してくれた。〇一年金子修介の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ』、次いで〇二年手塚昌明の『ゴジラ×メカゴジラ』と繋いだ訳だが、この良く出来た最後の二作品共昭和二十九年以来、憲法の下で平和を維持してきた防衛軍の軍人をヒーローにして、再軍備計画を進める中でゴジラと対決させているのは、時代的に懸念する。ゴジラを何処かの国と入れ替えれば、簡単に仮想敵映画になってしまうからだ。
 一昨年十月、ハリウッド大通りにゴジラの名前が刻まれ、M・モンローやJ・ディーンと共にハリウッド殿堂入りを果たした。そして昭和の御世で育ったゴジラは、昨年生誕五十周年を迎えシリーズ最終作が公開された。一作目から出演していて、北村龍平の『ゴジラ FINAL WARS』にも出演している宝田明は「海の彼方に消えていくゴジラはまるでチャップリン」と言って「同期生よ! どうぞ安らかに消えて下さい」と慈しんでいて、東宝も〈さらばゴジラ〉と最終版を喧伝するのに余念がない。歳末の多忙を縫って渋谷の映画館に出掛けた。二十六日、日曜日の午後なのに客足はパラパラだった。
 そして予想は大きくはずれた。俺は映画館に入ったはずだった。俳優は出ているのか? 出ている。だがそこはゲームセンターだった。テレビゲームの大きなスクリーンで、モンスターやミュータント等のキャラクターが目にも止まらぬ大活躍をしているのだ。しかもそれも、『スター・ウォーズ』や『マトリックス』『M:I』のパクリの連続。キース・エマーソンの音楽は映画音楽にあらずゲーセン音楽で鳴りっ放し、俺は目と精神を同時にスポイルされた。
 ところで、と気を取り直す。『ゴジラ』の音楽といえば、一作目を始め数多くの「ゴジラ」映画を手掛けた伊福部昭をおいてないが、映画音楽全般を見渡しても武満徹などと並ぶ重鎮で、昭和二十二年『銀嶺の果て』(谷口千吉監督)の音楽から始まっている。〇二年には、愛弟子の芥川也寸志が育て上げた新交響楽団による米寿公演を行ない、昨年にも卒寿公演をサントリーホールで敢行した。勿論、交響曲「タプカーラ」や交響頌偈「釈迦」等のクラシック曲の他、「ゴジラ」が入っている「SF交響ファンタジー」も演奏されたのは言うまでもない。「ゴジラ」映画音楽は、伊福部昭を別格にしても、あの佐藤勝、服部隆之、大島ミチル、大谷幸、他後年に関わっているが、愛と怒り、そして心の交流を綴れ織る伊福部サウンドを底辺で踏襲しているのが良く判る。そして又、「ゴジラ」のカバーを演奏する音楽家が何人か。
 巻上公一率いるテクノポップというかプヨプヨ音楽のヒカシューにいた井上誠は「ゴジラの伝説1・2・3」という伊福部カバーCDを三枚も出して八〇年代は、そのコンサートも良くやっていた。よく馴れ親しんでいるのはJINMOという一言では言えない、東琢磨に言わせると、神出鬼没的狂人博士系弦楽器奏者となる。わが店で何度演奏したか判らないが、孤高の人に相応しく大抵ソロだ。それでT独自のタッピング奏法で遺伝子の統配合を試みつつ、究極のギターテクニック、ナノ・ピッキングが全開する巨音から微温まで、極悪から最善までの振幅が魅せる至高のソロ・オーケストラUとなる。かくしてJINMOは、巨音のヒーリングで「ゴジラ」に擦り寄って行く。あと一組、「KOKOO・虚空」というバンドがある。一人の尺八と二人の筝からなる邦楽器による脱邦楽を指向する。ビート、コード、インプロヴィゼーション、そしてノイズの美しさで、ジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンや「ゴジラ」に向う。作編曲家で尺八奏者の中村明一が九五年に結成し、その実験的試みはわが「LADY JANE」で始まった。後「ロマーニッシェス・カフェ」や各所に展開し、今や邦楽器や地唄のせいもあってか、海外公演の招聘が引きも切らず、極めて現代的でハイブリッドな日本の音が世界を飛翔し、「ゴジラ」のテーマも映画と切り離されて、開かれた地に向って駆け巡るのだ。
 長い歴史を刻んだ日本映画の大ヒーローが今、ハリウッドに尻を突き出したままで〈ファイナル〉しようとしている。「東宝映画」のオープニング・タイトルのあの浮き上るキノコ雲は、一体何を伝えようというのか。『ゴジラ』は君たちの、俺たちの、そして日本の大いなる警鐘と莫大な財産ではないのか。手中に納めて発射しないでどうする!