Flaneur, Rhum & Pop Culture
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満而不溢の教えとブレス・パッセージ
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.12

 去年の十二月五日から十七日迄、世界屈指の韓国のサックス・プレイヤー姜泰煥(カン・テー・ファン)を日本に呼んでツアーをした。とは言え、世界の屈指の姜泰煥のといっても知る人以外、誰も知らない。
 六八年、韓国で最年少のジャズ・コンボのバンド・リーダーとして、たちまり吉屋潤グループなどと共に五指に入る人気バンドになり、女の子や世間を騒がせたが、自分の納得できる音楽を捜して、七八年フリー・ジャズに転向、金を捨てて有名性からもフリーになっていった。パーカッション金大煥(キム・デー・ファン)、トランペット崔善培(チェ・ソンベ)を加えた韓国ジャズ史上唯一のフリー・ジャズの姜泰煥トリオは、サムルノリ、ソウル交響楽団、民族国楽と共演を繰り返し、八五年近藤等則が主催した東京ミーティングで初来日して、韓国のフリー・ジャズの存在と水準は日本の幾多のジャズメンに衝撃を与えた。忽ち山下洋輔や富樫雅彦、梅津和時や井野信義との共演を初め、世界のミュージシャンと触れ合うこととなって、当時から他を凌駕する超絶技巧と唯一無比の演奏世界を表現し続けている人なのである。
 と、簡単に彼の履歴に触れたが、俺とはわが「ロマーニッシュ・カフェ」で出会った八六年からの友人であるが、毎回頭を悩ますのは、ツアーのプログラムでどういうミュージシャンと共演させようかということである。ところが、人気だったクラブ・ジャズ・コンボ時代を揶揄して、「ノー・マネー問題ない、ノー・レディ問題」とジョークを飛ばしつつ、「共演者、問題ない、ユア・チョイス」と日本語で言い放つのだ。呼吸を〇・何妙で感知し合う瞬間瞬間を対局していくのがインプロヴィゼーションの生命だとするなら、呼と吸のどちらを先に置くかといった大テーゼも立ち現れてくるだろう。姜泰煥のような独自のテンポとリズムを強固に持つ者との共演はなかなかに難しく、ともすれば同調という合わせる方向に埋没するか、逆に対峙ならぬ反発で終ることも多々ある訳だ。で、俺の趣向で詩朗読やダンス、絵や声明を介在させてみる。すると本人は面白がるのでしめしめなのだ。
 次に演奏場所の選定の問題がある。大概のライブハウスはジャズかロックに当然分かれていて、ジャズの中でもヴォーカル中心のラウンジ・ジャズ、音量や曲目をセーブしたコンサバのクラブ・ジャズ、フュージョン中心のノリのジャズ等、区分されていて、姜泰煥の演奏現場は極めて限られている。それに、ライブハウスはPAをやたらと使いたがるし、客は客で、自ら選ばれた客というかテクニックの学習的姿勢で来たりするので、音楽そのものの素の身体感応が伺えない嫌いがある。更に日本人はカテゴライズしたがる。あらかじめ自分のサイズやレベルで決めた引き出しにそのジャンルを入れようとして、少しずれると引き出しを閉じて追い出してしまう。ジャズ、ジャズと先述したが、姜泰煥が自分の音楽のことをジャズと言う時、日本人の底流に流れているであろう侘や寂と同様に、朝鮮の喜怒哀楽の根源的な意味の〈恨〉が通底する内なるジャズを言うのだと理解しているし、大体「サックスは僕の民族楽器だ」と言う彼の音楽を引き出しで聞いてはどうしようもない。「ジャズ」を越えたジャズなのだ。例えばギャラリーで演ったとすると、美術分野の客は自分の表現発想との絡みで聴き答えるので、即効的で対応も鮮明だ。酒蔵や寺の本堂で演ると、その圧倒的響きの良さも加わって全解放して聴く老若善男善女は、えも言われぬ音の風景の中でご加護を受けるのだ。
“韓国が生んだ世界的サックス奏者の音色は、水墨画でありながら豊かな色彩を感じさせる。ふたつの音域を同時に吹いてハーモナイズさせる「マルチフォニック奏法」や呼と吸を同時に行う超長音の「サーキュレイト奏法」は、韓国の伝統的スケールをも織り込んで深い思想を表現する”と、佐藤允彦の文句を一部盗用したような惹句を持って、「ブレス・パッセージ」の旅は始まった。
 五日 小金井アートランド。即興ヴォイスのさがゆき共々、この空間には馴染んでいる。いつもながら演奏後の打ち立て蕎麦は絶品。
 六日 宇都宮大谷石採掘場跡は、石を切り出したそれは巨大な地下空間。八〇年代半ば山海塾の舞踏や山本寛斎のイヴェントをやった同一空間に、サックスのソロ音が重層的サラウンドで響き渡る。打ち上げがイタ飯屋で、ベジタリアンの姜泰煥は意を決したようにタコや海老を食った。
 七日 葛飾の源寿院、「アー・ユー・OK?」と尋ねると、「タコ生まれて初めて食べた。OK」という返事。その歳で細胞が入れ替わったのか!? 初期からの共演者高田みどりの精神をキリリとさせる堅実無比のパーカッションと、下腹にズシンとくる斎藤徹のベースの重低音が、途切れずに唸るサックスと絡みつつ、智鐘聖耀の天台声明が館内を厳粛に盛り上げる。初対面でもリハーサル無しというインプロヴィゼーションの常道を踏襲し見事に終演した。同じ昨年、桜の季節に姜泰煥と共に、パンソリの哀愁から前衛まで取り込んだヘーグム奏者(韓国の二胡)の姜垠一(カン・ウニル)を呼んで、青梅、鎌倉、相武台と寺だけでも三ケ所の禅寺で演奏したのを鮮明に思い出した。
 九日 京都日韓交流センター。哲学の道沿いにあって南禅寺のすぐ側だ。昨春二人の姜は、北白川の京都造形芸術大学の春秋座での公演だったが、奇しくも桜と紅葉の東山に立ち会えるとは、感慨だった。アルト・サックスの林栄一が東京から駆けつけて、世に言うアルト・バトルの始まりだが、この二人はそうならない。弟子が師の胸を借りた晴れの場は凜としてあり、初冬とはいえ京都の夜の冷えた空気が、広い庭と目前の東山を借景する桜川邸に冴え渡った。
 十日 大阪ブリッジは新今宮駅前のフェスティバル・ゲート内にある。オープンして二年目だが早くもメッカになりつつある。内橋和久が運営するアナーキーな空間。広い。
 十一日 広島。狭いライブ空間に四十年前の同級生他十六、七人が俺を訪ねて来てくれた。故郷の情けか。姜泰煥は相変わらず胡座をかいて吹いていた。何も座禅に向うのでは無い。サックスの底部を土台に当てて音響効果を考えているのだ。
十三日 岡山の文化財指定建造物の禁酒会館。古い、音も悪い、でも雰囲気は良い。終演後、今日釣ったという鯔の刺身をご馳走になる。初体験だった。「姜さん、残念だね!」
 十四日 小倉メガヘルツ。上階の貸しスタジオのロック・ビートがガンガン響く。姜泰煥はニヤリと苦笑し動ぜず。
 十六日 前夜博多で友人の陶芸家横尾純の接待を受けたことを思い返しつつ、朝博多駅のプラットホームで新幹線を待つ俺の目に“フセイン拘束”の大見出しが入った。二日間も知らないでいた訳だ。二人共、笑ってる奴等の顔を思うと不快な気分で一路東京経由で千葉稲毛のキャンディへ。チェロの翠川敬基との共演は十四、五年振りだったろうか。
 十七日 目黒。筝奏者沢井一恵宅のスタジオ・エスが最終日。さがゆきと詩人の白石かずこの四人。例によって、出順とか少々考えたが後はほったらかし。始まりより終りが難しいのがこの世界だが、案ずるより産むが易し、互いに呼吸を計ったように有終の美を飾る。旅を終えて、もう次の旅の準備は始まっている。