Flaneur, Rhum & Pop Culture
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『みすゞ』の“みんなちがってみんないい”
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.6
 ジャズを聴き続け四十年、ジャズ周辺で飯を食って二十六年、のめり込んでいたはずが近年カラカラ音を立てるようになった。音の間や背景を聴くにつれ、その足元とのギャップに白けてきてまったく感情移入できなくなっていることが頻にある。ジャズ演奏は一番難度の高い音楽だと思っているが、楽理やテクノロジーの最高を修得したといってそれが何なのか、かって、C・コリアやK・ジャレットがモーツァルトなどを演って、日本人もクラシックに向かったりしたから更に鼻白んだ。解体の時はとっくに過ぎているのに、ジャズよ、お前はゾンビーか!?
 ニューヨークの音楽仲間からE・メールが来た。「テロの報復が悲しみの解決だとは思わない。私達はブッシュはアラブ諸国に過去のアメリカの非を謝罪してでも戦争を回避すべきと思う」とあった。そんなこと言ったって「アメリカの味方か、さもなくばテロリストの味方だ」とブッシュは二者択一を世界に迫った。ジャズの味方か敵かと俺に突きつけているように聞こえる。まあ、日本はアプリオリにアメリカに従うに決まっている。日本人は心の何処かに残している、忘れてはいけないものをすぐ忘れる器用性を身につけているらしい。戦争の傷跡や建築物から日常品、怨み、憎しみ、愛の番地や哀の路地、山野空海、人をもさっさと忘れ、便利な新世紀をくぐり抜けようとする。で、俺は音楽の川に桿さして逆流してみた。
 三月に日本唱歌のコンサートをやり、九月に「童謡の時間」と題したコンサートを企画した。かつて児童文芸誌「赤い鳥」の北原白秋や西篠八十等の詩に、後に山田耕作や本居長世等が曲をつけたものが童謡となって一世風靡していた。最初に外国民謡に日本語詩をつけた唱歌の場合は、教訓や知識を授けるという側面が多分にあったが、童謡は、畦道や小川や校庭や都会の石畳で習うより慣れて、いつの日か口ずさんだ唄だった。大正に生まれ昭和に羽ばたいたその遠い記憶を、今引っ張り出して時代を問う試みだった。だから、メンバーの山口ともの祖父の山口保治作曲「ふたつふたつ」や「可愛い魚屋さん」などは、川田正子、孝子姉妹が歌って大流行したが、今回は勿論、児童のために演奏する童謡演奏会ではなく(出来る訳ない)、大人の私本意の情操が伝われば、そして遊べれば良いという主旨だった。
 大正十五年の「日本童謡詩集」誌に、白秋、八十を初め、野口雨情、三木露風、竹久夢二等と共に、唯一女性で選ばれたにも関らず、大正の時代と共に置き忘れられた人、金子みすゞがいた。ところが、散逸していた詩が半世紀を経て編集され、人の耳目に止まるようになって数年目の今年は、みすゞの自伝が舞台になりTVドラマになった。
 十月には映画が封切られる。金子みすゞはいずれの見出しにも、二十六歳で夭折した童謡詩人となっているが、その童謡を聞いたことがない。“みすゞを歌う”という催しは何度か聞いたが、みすゞは作曲されて歌い継がれなかった故に忘れられた。そこで俺は「童謡の時間」にみすゞを取り上げた。といっても、当初は朗読にバックの演奏をつける発想だったものが、リハを重ねていく内に自然にメロディが浮び曲になってしまったミュージシャンの才能と欲を発表しない訳にはいかなかった。
 映画『みすゞ』は『地雷を踏んだらサヨウナラ』の五十嵐匠監督作品だ。よく知る「大漁」は“朝焼小焼だ 大漁だ”と威勢を讃したかと思うその視線を瞬時に海中に移動させ“何万の鰯のとむらい するだろう”と結び、粛然とさせる。「日の光」でも、“おてんと様のお使いが 明るさ地に撒くの”や“お花を咲かせるの”なのに“残った一人はさみしそう(私は 影をつくるため やっぱり一しょにまいります。)”と、陽を唄って陰を引き受けようとする。詩創作の内的解放の悦楽は、同時に外的現実の弊害をも内部に収容してしまうことで阻止され、二十六才で命を括る不幸を招くのだが、この精神の震えに映画は一歩一歩丁寧に密やかに進入していく。カメラは大胆にアップとロングを使い分け、空や木々や一本の草花にさえ身体の呼吸法を心得ていて、つまり、呼吸してないように見えながら呼吸している映画というか、みすゞの眼差しや息遣いとシンクロしているようにさえ感じる。だから、大正を描きながらフォトジェニックな画面画面は、極めて現代的でフィジカルなのだ。本でいえば、全篇台詞を削ぎ落しト書き指定に映画的生命を吹き込もうとした、脚本の萩田芳久に負うところが多分にあろうかと思う。ジャズでいえばセロニアス・モンクのピアノ曲のようだ。全篇にわたりつましく且つ凛としていて、それはそれで脳内が洗滌される気がするのだが、モンクは決して売れなくて、貧乏のまま死んでいったよな。みすゞ(田中美里)の夫になる萬原(寺島進)の赤いスカーフが、全体に寒色トーンの中でやけに目立ち、“清水を濁らせるには一滴の血で足りる”という諺ではないが、そのスカーフがみすゞの死を予感させる悪い血の混入をイメージさせて、芝居を感じたのは穿さくが過ぎたか。たまに出てくる食事のシーンで、バックに必ず流れるコンチネンタル・タンゴに、何ともユーモアをたたえた異質感を感じ、階段の上と下の間に漂う無言の暗闇のリフレインが殊に焼きついた映画だった。
 先述の「童謡の時間」で生まれたおおたか静流の「星とたんぽぽ」、佐山雅弘の「私と小鳥と鈴」と「げんげの葉の唄」を買ってくれるなら、みすゞの生きた長門や下関をドサ廻りしてみたい。故寺山修司が言うように、映画に主題歌があるように人の人生にも主題歌があっていいだろう。幼い日より今、内耳や眼底に残影する童謡に、それを求めることをナショナリズムというのだ。