Flaneur, Rhum & Pop Culture
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『ミリオンダラー・ホテル』は愛のカオス
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.4
 一九二〇年代の些か十年間が、現代のあらゆる都市文化の礎石になっているというのが、持論だ。当時のアール・デコは工芸や写真、広告ポスターに華ひらき、バウハウスは、デザインを定義し、ベルリンはダダイズムのキャバレーに夜毎酔拳した。食文化、酒文化もしかり、F・スコット・フィッツジェラルドが名付けた「ジャズ・エイジ」にニューヨークは喧噪した。造船技術の向上は大型ライナーで大陸間を往来させ、日本からも山田耕作や佐伯祐三ら多くが欧州へ渡った。この時、一番受け皿基地になったのがホテルだった。つまり、ニューヨークの黒人ジャズ・バンドを聴きながら、ロンドンのサヴォイ・ホテルで白人や黄色人やアラブ人が、フランス料理を食べているといった具合だった。外食文化の始まりで、ホテルの在り方が変った。日本でいえば大正期、竹久夢二がお葉と同棲し始めたのは本郷菊富士ホテルだった。カフェで五色の酒を青踏の女達が飲み歩き煙草をふかした。女が変った。“ジャズで躍ってリキュールで更けて ありゃダンサーの涙雨”だ。
 自分のことを言わせてもらうと、海外の旅をする場合、古いホテルを見付けようとするのが癖だ。ロンドンなら前述のサヴォイ、パリならリッツというところだが、とても高すぎる。だが、ニューヨークだと断然アルゴンキン・ホテルだ。かつて、ノエル・カワードやアーサー・ミラーが定宿にしてブロードウェーに通っていた。一階の「ブルー・バー」には、週刊誌「ザ・ニューヨーカー」の表紙を飾っていたJ・J・サンペの漫画がずらり額入りで掛っていて、品が良くて暗くて逢引きにぴったりだ。機能重視の超近代ホテルと真反対なのが良い。そうした点では、O・ヘンリーやディラン・トマスがアル中死し、崇拝するディランを名乗ったボブ・ディランが居て、シド・ビシャスが死んだ知性と暴力のチェルシ・ホテルもなかなかだ。と、なかなか本題に行けない。
 よし!ロサンゼルスにもかつて「ミリオンダラー」というホテルがあった。ルーズベルトや歴代大統領御用達だった栄光の百万ドルホテルは、実は現在も実在しているが、今や無残な姿に形を変え、名もフロンティア・ホテルになっている。この屋上で、ロックバンド「U2」の「ホエア・ザ・ストリーツ・ノー・ネイム」のビデオ撮影を行ったボノは、黒ずんで捨て置かれた巨大な鋳鉄のミリオンダラー・ホテルという電飾文字に人生の哀感を憶え、その栄華と悲惨の空間の中に、極めて無垢な愛の物語を投げ入れた。そして、映画作りをヴィム・ヴェンダースに持ちかけ、共同プロデュースで作り上げたのが、ヴェンダースの最新作『ミリオンダラー・ホテル』だ。
 二〇〇〇年二月のベルリン映画祭でオープニングを飾り銀熊賞を受賞した同作品は、切なさが横溢する愛の破滅と再生を讃ったヴェンダースお得意の空想映画だ。“世界はホテル、私たちは皆ここの囚人なの”と人生の仮寝を歌ったイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の世界は、相当ローリング・トゥエンティーズしていたが、例えば、人生の見栄と悔恨と欲望を同時多発に描いて、グランド・ホテル方式なる作劇法を生んだ『グランド・ホテル』も、愛と裏切りの『北ホテル』も、主人公のボギーが宿泊しているマルテニーク島のホテルのラウンジで、あのホーギー・カーマイケルが「香港ブルース」をピアノで弾き語りしていた『脱出』も、カーメン・マクレエがラウンジで歌っていたアーサー・ヘイリー原作の『ホテル』も、ホテルのしがないカクテル・ピアニストを描いた『恋のゆくえ』も、いずれにしても、欲望を再起動した旅立ちと人生の終着駅の交錯する溜り場がホテルだ。帰る所などないし、決してそこから離れられないのだ。
 『ミリオンダラー・ホテル』の屋上から、ジャンキーのイジー(ティム・ロス)が落ちて死んだ。自殺か殺人か!? 実はメディア王の御曹子だったことから、FBI(メル・ギブソン)が乗り込んでくる。そんな中で、知的障害者の主人公トムトム(ジェレミー・デイヴィス)は、風のように路地を歩く、つまり存在の意味を失った娼婦エロイーズ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)との無償の愛に魂の全てを注ぐ。開幕、ロサンゼルスの朝の遠景からゆっくりと寄っていったカメラがパン・ダウンすると、例の腐蝕したミリオンダラー・ホテルの文字看板がアップになって、朝日が屋上のトムトムを射る。全速力で走って飛んだ。ボノの哀切の歌声が流れる。映画のために作った「ミリオンダラー・バンド」のメンバーの演奏だ。
“人生は素晴らしい 今思えば 僕の人生は ほんの二週間前に始まった”
 ホテルの窓から一つ一つ室内のそれぞれの営みを把えた、やさしさに満ちた視線や、ビルに挟まれた路地と空のコントラストが鮮やかだ。そして、「『ミリオンダラー・ホテル』の要はアンサンブル演技なんだ。ホテルの住人は『カッコーの巣の上で』のキャストと共通点がたくさんある」と言う監督は、時にストップ・ショットにフラッシュ音を使い、スローモーションやリフレインやモノクロフォトをインサートして浮遊感覚を高めつつ、病院という名のホテルと患者の内的心情を炙り出してゆく。ささくれた空気にさせることが多いロサンゼルス・ロケ映画だが、騙しも罵倒もその逆の息づかいが聞こえてくるのは、ヴェンダースの空想的視点や主観的現実が信念を堅持しているからだ。エロイーズの甘い香りと愛情を抱いて、トムトムは朝日射す屋上を全速力で走って飛んだ――そして、あることに気付いた――包むように流れるボノの歌は、主題歌「ザ・グラウンド・ビニース・ハー・フィート」――この映画の始まりは終りで終りは始まりだ。魂の回路は仏教的に永久に流転することになる。そして、「もう一人の主役はホテル」ということにも、勿論、異論はない。