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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.11
「夜のプラットホーム」の点と線

ツィゴイネルワイゼン

 昭和二十七年、僕と家族は疎開先の栃木県から、故郷の広島へ帰って行った。東京駅に出て、長距離列車に乗り換えた。当時の急行「安芸」は、東京駅を夜八時ごろ発って、翌日昼一時ごろ着いたから、約十七時間の長旅だった。夜行列車なのに寝台はなく、硬木の椅子、重たい窓を開けると煤煙が目に入る、といった具合で、その後も高校の修学旅行まで、東京へは急行「安芸」だった。今は新幹線で行けば四時間だから、その文明の発達速度に、改めて感慨深くなってしまう。
 ところで大正三年に建てられた別称・赤レンガ駅の東京駅は、八十三年の歴史のなかで、数えきれない人々と同時に、その思いも吸い込み、吐き出してきたのだ。
 その東京駅の赤レンガの南半分が、同じ歴史を持つ「東京ステーションホテル」になっているのだが、円形ドームの乗降口をぐるり囲むように造られているので、三階の部屋の窓や、通路や喫煙所の窓から、駅構内を行き交う人が見下ろせる。それぞれが「物語」を始めようとしていたり、または終えようとして、改札口に向かう。ときに小動物に見えたりして、人の営みがいとおしく思えたりもする。
 この舞台造りの材料がいっぱい埋まっているステーションホテルで、あてのない時間を遣るのが好きで、僕はよく来るのだが、広島出身の友人(在東京)などは、「わざわざ一泊してから里帰りする」と自慢している。
 円型通路をいちばん南側まで歩くとバーがある。実は今、昭和二十六年開店のこのバー「カメリア」にいる。窓の外はすぐ線路だ。入ってきた電車は、以前は朱色の中央線だったのに、今は青い京浜東北線である。長野新幹線に割って入られ、一番線だった中央線は、高架ホームに上げられたからだ。
 僕は「あさまマティーニ」を注文した。「青梅は、信州の飯田産が一番なんですよ。で、オリーブの代わりにその小梅と、あと少し梅酒を加えました。記念カクテルです」と答えるバーテンダーの言葉に、電車の軋む音が重なる。それが音楽のように延々と続き、外が暗くなってくる。                            
 ふと、急行「安芸」が滑り出ていく錯覚を見た。四十六年前の東京駅で耳鳴りしていた「夜のプラットホーム」のメロディーが浮かぶ。タンゴのリズムが切ない別れの歌だが、当時、安芸の国、広島出身の二葉あき子のヒット曲だったというのは、あまりにもとってつけたような偶然だが、ドキュメントなのだ。 

 

「アサヒグラフ」1998年3月20日号掲載