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鐘も撞木のあたりがら
VOL.63

 一九七一年、返還前の争乱の沖縄から鹿児島に着いた日、故あって中山信一郎氏宅(「パノニカ」オーナー)に一宿一飯の恩義に預かった時、彼宅のレコードから見付けたのが、黄色いロールスロイスに女をはべらせた黒人のジャケット『ジャック・ジョンソン』という、当時広告紙面でしか知らなかった新譜だった。既に'69年末、'70年代を予言した『ビッチズ・ブリュ』で世界に衝撃を与えていたマイルス・デイビスの'70年代第一弾だった。世界初のヘビー級チャンプのJ・Jを讃えた攻撃的な音は停滞する公民権運動の起爆剤の様に聴こえた。
 9月10日夜、吾妻橋で謡曲「隅田川」が演られた。千年の時空を超えて悲劇に散った梅若母子を舞と能で供養し、天台声明で更に幽玄の世界を深めようという催し物だ。鉦や笛太鼓と大勢の僧侶による声明は、芸に秀れて興を引き粛粛たる気分になったが、はしたなくも現れ出たるは、馴染みない梅若母子ならぬマイルスであった。―昔ジュリアードで先生に対し「NO!父は金持ちで母は美人で、僕は辛い思いをしてないけどブルースを演れます。」といった少年は変節し続けた巨星となって昇天した。合掌

(まるこめ坊主)

(1991.10記)