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負うた子に教えられ
VOL.52

 煌星の如く表現主義者達、構成主義者達、ダダイスト達、未だキャリアを始めてない若き流れ者ビリー・ワイルダーやロバート・キャパがとぐろを巻いていた1920年代の狂躁の都市ベルリンにあった“ロマーニッシェス・カフェ”(コダイモーソーキョウ・カフェ)。その精神を盗んだこの店が5周年を迎えた。―赤子も5年経ちゃ5才になる。

 5年間、様々な友人、知人が逝った。人だけでなく様々な<文化>の類も死んでいった。雑多で厖大な消費物として作られる<文化>の死期は早いのは数日の命だ。後は夢の島。耳や記憶や歴史に残像として刻印されるものを捜す時、正倉院の宝物が開陳され、大英博物展が催され、何千年の生を前にあるむなしさを憶える瞬間がある。

 手紙は只でもらえる宝物と同時に、人の文化の写しである。たとえ、どんな極上の酒を提供されても、その人に、農夫が種撒く、穀物が育つ土と気候風土、鍛えられた職人の腕と水、仕上がった一樽の酒、という悠久な営みに馳せる想いが無ければ只の並の酒だ。酒も文化も連鎖する魂の行程と時間が要る。

 “親があっても子は育つ”と云ったのは安吾で実行したのは壇一雄だが・・・5年など赤子が5才になるだけだ。

(越後杜氏)

(1990.11記)