日本の競馬が近代化へと成長する揺籃期の騎手が3人引退した。
'70年3200mの天皇賞をメジロアサマで優勝し、偉大な種牡馬だが長距離はダメと判を押されたその父パーソロンの血の神話を打ち崩した池上昌弘騎手。
競馬界のアイドル1号、アローエクスプレスを当時新米の柴田政人を押しのけて駆った激流の男加賀武見。
'76年ダービー、圧倒的人気の池上のト−ショーボーイを直線で前を塞ぎ喧嘩で負かしたクライムカイザーの加賀。
'73年ダービー、史上最高のオッズを占めたハイセイコーを「俺の馬も同じ四つ足」と云ってタケホープで買った嶋田功。
近代化のエポックは実に、アロー、ハイセイコー、ト−ショーボーイの3頭において無く、3騎手共何故か関わっていたのだ。
怒りの闘将=加賀の晩年にやさしさばかりが目立ち、落馬による死の淵から幾度も甦りオークス5勝の不滅の金字塔を建てた嶋田功は「墜落の想像力は、上昇の想像力の一種の病として高さに対する抗い難い郷愁」(G・バシュラール)という落馬の形而上学を体現してみせ、故寺山修司をして「落ちることのできるものは一番高い所にいるのだ」と墜落の美学を羨望させた。
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