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温故知新
VOL.1
 あらゆる芸術が前衛を試み、カフェやキャバレーの祝祭空間の感受性の中でポップ・カルチャーが氾濫したベルリン、パリ、ニューヨーク、東京の1920年代。
 今、'86年、まさにポップ・カルチャーの爛熟時代という。でも何故、世界の東京はクリエイティブ・シーンを生み出し得ないのだろう。何故、情報のビィッゲスト・シティに甘んじているのだろう。何故、A・ブルトンの<自動記述>は創造の重要な方法論だったのだろう。何故、マルセル・デュシャンの便器は泉に変貌したのだろう。意味するものと、意味されるものとの間で、対自存在のとを考えよう。
 ーーと、あまり考えない方がよい。考えると人間は一本の葦になってしまうからーーとトキオが囁く。

 梅雨晴れて拓榴の紅の見え隠れ(雄)

(1986.8.6記)