Flaneur, Rhum & Pop Culture
「246の幾何学」のジグソーパズルは解いたけど
[ZIPANGU NEWS vol.107]より
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 2012年を思えば、暮れには色んな形で松田優作に関わるミニイベントやライブを企画したり出演したりした。最初に決めたのは、7月に下北沢にオープンしたB&Bという本屋が企画した、俺がその界の方を呼んで連続対談をしつつ下北沢の街と映画や音楽や文化を語る、「大木雄高の連続対談企画『下北沢物語り』第一回目」だった。自分としては一寸恥ずかしいのだが、10年以上前からバタバタと本屋が無くなり、今シモキタの路面を席巻しているのは、チェーン不動産屋、ドラッグストアー、靴屋、携帯電話屋、チェーン居酒屋など街と乖離している大型量販店ばかりで、シモキタ解体に向かう歯止めとして、歓迎すべき街の本屋で文化戦線が張っていければという思いだった。12月9日対談相手は筒井ともみにした。筒井ともみは『旅する女』(講談社)を、俺は『下北沢祝祭行』(幻戯書房)を刊行していた。<街を旅する>を切り口にしたので、萩原朔太郎・葉子親子、横光利一、石川淳、田村泰次郎、宇野千代、三好達治、日野啓三等など、路地の街シモキタの路地というバー「レディ・ジェーン」で出会った、<旅する女>筒井ともみと<旅する男>に話が及ばない訳がなかった。松田優作のことだった。
 松田美由紀が著した、優作との激しく奇妙な夫婦のあり方や不器用に形成されていく家庭や家族のことを、内面からえぐったエッセイ『子宮の言葉』を朗読して、太田恵資のヴァイオリンと坂本弘道のチェロがインプロヴィゼーションで被せていく朗読ライブは、12月18日に下北沢のアレイホールだった。2011年の夏に初めて「レディ・ジェーン」でやったところ、その年の「TOKYO  JAZZ」で年間ベストライブ賞をもらった。松田美由紀にとっては初の朗読ライブだった。俺も美由紀もいい気になって今年3回目だった。
 先の2つが決まっていたのと、下北沢の再開発に触れてくれるという条件で、基本的に嫌なTVの単独取材『松田優作を語る』(MXテレビ)のインタビューもやむなく受けた。ところが案の定、俺の大事な発言個所はカットされているは、再開発のことは茶化されるは、やはりテレビはテレビでしかなかった。ライブだったら、どんな行動も取り替えしつかないし、どんな発言も中空に掻き消えて、そんな危惧することはない。
 1990年も押し迫った12月3日、『CLUB DEJA-VU 松田優作メモリアル・ライブ』というデッカいライブを、池袋サンシャイン劇場でやった。彼の一周忌にどんな追悼が出来るのかと考えて、総合プロデューサーを黒澤満にして、催洋一とEXの梅林茂と考えた結論が、<主人をなくした「クラブ・デジャヴ」の使用人だった水谷豊(語りと進行)のもとに、旧知の仲間が駆けつけて、思い出を語りつつ、主人・松田優作が残した曲を一曲ずつ歌って去って行くというシナリオ仕立てにした。出演者をアイウエオ順で言えば、新井英一、石田えり、宇崎竜童、内田裕也、エディ藩、キース、斎藤ネコ、シーナ&鮎川誠、世良公則、竹田和夫、仲野茂、白竜、原田美枝子、原田芳雄、FLOWERTOP、BORO、桃井かおり、李世福が入れ替わり立ち替わり、ステージに登場するが一曲しか歌わないで去って行く。正確には、特別客だった原田芳雄と桃井かおり以外はそうだった。斎藤ネコが開場時からロビーや客席で客をけしかけ、太田門が踊った。黒田征太郎がステージ奥で、開演から終演まで絵を描き続けていた。
 映画や音楽の創造は出来ても、ライブ興行のやり方などは知らない者同士、俺だって1000人規模の興行など分らない、不明のプロデューサー・クルーが舵を取る危険に満ちたイベント企画だった。どの優作ソングを誰に歌ってもらうのかに関しては、一番気を揉んだ点だった。先に上げた出演者は誰も一家言を持っていて、曲調も違えばキーも違う曲をピタリと合わせて選曲する必要があったし、歌の上手い下手もあったから、まるでジグソーパズルの様だった。新井英一に当てた曲は「246の幾何学」だった。
 ♪はがれたマニキュア 紛いもののルージュタウン…♪
無名だった野太い嗄れ声で歌う新井英一に、客席の寺島進は衝撃を受けた。彼は今でも新井英一を追っかけている。成功だった。
 2012年12月10日、瀬戸内海の小型船上、下関市の文化課から電話があった。「来年の3月ですけど、松田優作の地元で特集企画を進めているのですが…」「エッ?」新年早々、餅やお屠蘇に浮かれている場合ではないようだ。