Flaneur, Rhum & Pop Culture
歌舞音曲に酔っていた良き時代の泡
[ZIPANGU NEWS vol.104]より
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  9月半ば、政府はエネルギー・環境会議を開き、「2030年代の原発ゼロを明記した」ようだが、中身を見ると穴あきのボロボロで欺瞞戦略にしかなっていない。原子力ムラ出身のメンバーで構成した原子力規制委員会が、「安全と判断すれば、原発再稼働は可能」とか、原発ゼロになれば使用済み核燃料リサイクルも無くなる訳だが、「ウランやプルトニウムを取り出す再処理事業は続ける」とか、<原発ゼロ>に声が弱まったらただちに法変えするつもりなのか。こんな国民騙しのエネルギー政策にさえ、不快感を如実にしたアメリカに対して、すぐさま担当高官を派遣して従順と追随の姿勢を露にした。自国の<命>の問題を、他国との<経済>の問題に優先させる、世が世であれば獄門晒し首が当然の所行が、許され許している不思議な<国>に俺たちは住んでいる。日本人の思考回路の箍は緩くなったどころか、外れてしまっていて回収不能に陥ったようだ。政治をやる人や経済をやる人、科学をやる人ばかりに文句を言ってても始まらないが、暗澹とした空気の下、自殺者は増え続けて一億二千万総鬱病になる日も近いだろう。
 音楽や映画演劇や文芸が如何ほどの役に立つと言うのだろうか?などという苔むしたステレオタイプの疑義を自らに投げてみる。
 1900年7月28日、ベルリン〜ニューヨーク10日間の旅から帰った夜は、「ロマーニッシェス・カフェ」で橋本一子(p)、板倉文(g)のライブだったので、荷物を降ろすや店に向かった。ライブが終わって24時近くだったろうマネージャーの岩神六平と、近くのバー・サロン、ホワイトに飲み直しに行った。1時間も経ったろうか、突然足元で異常な音がして下を見たが、咄嗟のことで何がなんだか分らなかった。その内左足が膨らんできて、見る見るうちにパンパンに腫れ上がった。タクシーで下北沢近辺の救急外科に駆け込むと、過度の筋収縮で乳酸が溜まって筋が切れたらしかった。説明もそこそこに水やリンパ液を抜くやギブスで固めて終りだった。当時はやたら忙しかったので、そんな処方で済ませていた。ところが3週間過ぎた頃、劇団・青い鳥の長井礼子に野口整体を教えられた。「人間の知識以前の働き」に言及して「気の交流」を糺す野口晴哉が編み出した整体だった。野口先生はすでに亡くなられていて、紹介された弟子の伊沢ハヤ先生は自宅にやってくるなりギブスを見て言った。「そんなもの!すぐ取りなさい!」野口整体ならず、野口三千三の野口体操をやっていた俺としたことが間抜けめと反省した。
 店のライブ出演者には、ジョン・ゾーン、エヴァン・パーカー、アート・リンゼイ、ミロスラフ・ヴィトウス、エリオット・シャープ、金大煥、姜泰煥など次々と来日して、吉沢元治、富樫雅彦、佐藤允彦、山下洋輔、三宅榛名、高橋悠治、高田みどり、高瀬アキなどが共演相手をした。新人には小林靖宏(coba)や大友良英もいた。時には黒澤美香や木佐貫邦子、古川あんずのダンスも加わった。毎週火曜はお茶、金曜は英会話、他は日々研究と言い訳してライブにコンサート、店のためと称して顧客の開くパーティに参加、当然映画演劇ははずせない、水曜は野口整体が加わった。松葉杖で大車輪の活躍だった。
 杖もとっくにとれた11月になった或る日、近藤等則から電話があって「知り合いの紹介でアムステルダムから宝石商が来たけど、さっぱりお門違いなんで会ってやってくれないか」ということだった。俺だってお門違いもいいとこだったが、「客で来るんなら」ということでやって来た。ベルギー人のロブ・ルブコイッツとマリー・ダルビーのカップルとは、ヨセフ・ヴォイスやダリン・ウィリウムスの知り合いだったからすぐ気が合った。張ったりで店に置いてあった何十万もしたスコッチ、オールド・エルギン1939年をくいと飲んで平然としている人だったので、サザビーの宝石担当者を紹介したり、各所に連れ回したり、新年の1月末に築地のふぐ料理屋で接待されて別れる迄、何様か!のような日々を続けた。
 1900年は東京湾岸の芝浦ゴールドばかりじゃない、ベルリン〜NY行きも、筋肉断裂も、世界のミュージシャンの出現も、ベルギー人との遊興も、バブルの中で踊らされていたのだと知るには数年の年月が必要だった。
 GDP世界3位の国でありながら、自殺者は12年間3万人を超え幸福度は世界90位という、バブルの教訓は泡と消えて、心の割れ目は広がるばかりか。