Flaneur, Rhum & Pop Culture
新年は『天衣無縫』するこそ大事
[ZIPANGU NEWS vol.47]より
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 昨年の11月15日、「くりくら音楽会」という小コンサートを聴きに門仲天井ホールに行って来た。ピアニスト黒田京子が、ホールのピアノの再生を願って前年から始めた企画で、当日の出演者は、ウルグアイ在住のピアニスト、ウーゴ・ファトルーソとヤヒロトモヒロが1組。ベルリン在住の高瀬アキと井野信義が1組の2つのセットだった。先行だった高瀬・井野組の2人とは30年近い付き合いになるが、今回の彼女の帰国公演には、さまざまな形のステージが用意されていたにも関らず、ことごとく滞在期間中のスケジュールが自分のそれと合わなかった。それでやっと最後の門仲天井ホールのデュオ公演に間に合ったという有り様だった。

 特に初日の11月3日、両国シアターX(カイ)の散文オペラと題された「飛魂」は、作家の多和田葉子が自作「飛魂」を舞台用に改めて書き下ろし、音化して突出した言葉を駆使して自ら朗読しつつ、高瀬アキが即興ピアノで応じると思えば、2人して鉦や太鼓を打ち鳴らしつつ叫ぶ<オペラ>だったはずだ。はずだと言うのは勿論観ることが叶わなかったからだが、このプロジェクトは、例えば年々チェホフだブレヒトだと何年もやっていて、実は秘された思いが裏にあるのだが、紙幅の許容もあってここでは触れない。今回の「飛魂」にしても、踊り子と語り部のパフォーマーとして故山口小夜子(07年8月14日死去)を加えた企画を進めていたが、俺のへぼ振りが未遂状態を生み、今回の突然の訃報で漬えたという経緯があった。

 又、11月10日は15日と同じ高瀬アキ・井野信義デュオが、静岡の青嶋ホールであった。企画したのはIMA静岡を主宰する井上茂という旧知の友人だった。IMA静岡30周年だった昨年、彼はそれに相応しい企画を考えていたという。そんな折、高瀬アキから今回のデュオの申し出があり、手前ごとになるが、同年4月に俺がお願いしたのが、姜泰煥VS高橋悠治の<驚異の初共演>たる青嶋ホール公演だった。この2つの公演は期せずして彼のIMA静岡のレーベル、imaszokレーベルからリリースした『I think so』(姜泰煥ソロ)と『耳のごちそう』(高瀬アキ・三宅榛名デュオ)のミュージシャンだった。人ごとながら“案ずるより産むが易し”と思ってみたが、当人の井上茂は「これは偶然ではなく、必然なんだと納得」した。その上、この11月10日の必然コンサートは、後に記すが下北沢「レディ・ジェーン」と静岡IMAという点と線を結ぶ『天衣無縫』CD化発売コンサートだったことに、不思議な巡り合わせを思わずにはいかない。『天衣無縫』は高瀬アキが20年以上前に出した初のオリジナルレコードで、C・ヘイデンの『ソング・フォー・チェ』と戦前唱歌『埴生の宿』以外すべてオリジナル曲で、それを2人が自分の楽器以外に、中国琴、胡弓、鈴、ヴォイスを駆使してテープまでSEで入れている実験性に富んでいて、前衛と言えば前衛だがおもちゃ箱を引っくり返して遊びまくっている感が何とも楽しい。

 前述の門仲天井ホールで『ソング・オブ・ホープ』を演奏した時、忽ち俺は84・5年に返った。曲が耳に残っていたので「レディ・ジェーン」の記録を調べてみると、月に6回程しかライブを演らない店なのに、彼らは81年頃から出演始め、年々回数を増やした85年になると12月29日までに12回も演っていた。その当時必ず演奏したかは定かでないが、良く記憶に残っているのが『ソング・フォー・ホープ』だったし、レコード収録曲の『美は乱調にあり』だった。そして翌86年3月25日、『天衣無縫』はモビース・レーベルから発売された。5日後の30日、「レディ・ジェーン」で、和洋交合と温故知新のレコード発売記念ライブが行われたのだった。抗おうが抗まいが、歴史はそうやってやってくるみたいだ。

『天衣無縫』高瀬アキ/井野信義 MC-10003 (Mobys/地底レコード) ¥2,625(税込)