Flaneur, Rhum & Pop Culture

<虎の威を借るジャズ>の使い方について
[ZIPANGU NEWS vol.148]より

LADY JANE LOGO











 1994年6月26日朝、何年振りかで広島市の安佐南区の伯母を訪ねていた。安佐南区といえば、2015年去年の8月、暴風雨がもたらした土石流に巻き込まれて何軒もの家屋崩壊と死者を出した、山の斜傾地を切り出して住宅地にした広大な一角だ。それほど無理をしても、政令指定都市の認定が欲しかった広島市が、地域合併と人口増加を目論んで開発した新興住宅地だった。ゆるくもろい花崗岩地質の真砂で出来ている斜傾地は、自然をいじれば天候によって崩れる想定は簡単に出来ていたはずなのだ。訪ねた時はまだ存命中だったが、父の大木方と母の桝本方を併せても最後の伯母が、10数年前に亡くなり、年老いて目の見えない長女(俺の従妹)が、去年崩壊を免れた家で一人80歳代を生きている。荘厳な光景を思う。
 そんな伯母の家を早々にお邪魔して、俺はバスセンターに向った。伯耆(ほうき)の国大山に登るため松江行きの高速バスの時間があったからだ。松江までは中国山脈を横断するトンネルを当然通るのだが3時間半は掛かる。急に睡魔が襲ってくる。朝まで飲んでいた酒がぶり返して、水眠不足の身体にだるく昨夜の気分の悪さを思い出させた。
 1994年6月25日は広島で行われた高校の同窓会の夜だった。卒業したのが1964年だから30年振りに初めて出席した同窓会だった。当然多くの<友>とも30年振りに会った。何故30年振りだったかと言うと、避けていたというより興味がなかったからだが、15歳の時、俺にハードバップ・ジャズを教えてくれた元級友が幹事をやっていて、その彼がしつこく誘ってきたからだった。最初は断わっていても、キャノンボール・アダレイとマイルス・デイヴィスの『サムシング・エルス』やらホレス・シルヴァーの『ドゥーイン・ザ・シング』、マックス・ローチの『ウイ・インシスト』やらチャールズ・ミンガスの『直立猿人』が次々と脳内を駆け巡れば、皆そいつのお陰だった感謝しなければなるまいと、渋々出席を決めて広島に帰っていったのだったが…。
 厭に派手な会場だった。俺たち同期だけでなく、戦前の旧制中学はなくても合同同窓会だったからだ。やがてお偉いさんの内、一級上だった檜山俊宏県議会議長が喋り始めたのが悪夢の総てだった。「80%は完了した。後少し皆さんの力を貸して欲しい…」のような発言をした。何が「完了」かというと「国旗掲揚、国歌斉唱」のことだった。高校時代、同じ県会議長だった親の威光を借りて、彼は悪のし放題だった。俺は<ジャズの威光>を借りて対抗したが、彼には当時から取り巻きがいて勝ち目はなかった。その内、悪が過ぎて学校を頚になった奴が、何で母校の同窓会に出るだけでなくて壇上で演説をしているのか!勿論、許している同窓会も同窓会だった。日教組に未解放部落を交えて板挟みになった当時3人の広島の校長が自殺していた。教育委員会ばかりか県知事も動かして、彼は満面に笑みを浮かべて演説を繰り広げたのだ。俺は切れてしまった。と言っても<ジャズの威光>は総会場で物申すほどはなくて、20数名ほどで行った二次会の席上ではあったが、俺にジャズの洗礼を浴びせた友の幹事も含めた前で、「彼奴には皆やられたろ!なんでおとなしいんだ、二度と来ねえからな!」などと罵倒して49歳は暴れた。そしてやるせなくなった。
 そして、早い時間に広島を出て大山に登ろうと思い立ち乗ったバスは松江に着いた。山陰線に乗り換えて松江駅から米子で下りると大山の麓だ。路線バスもあったがタクシーで30分ほど乗ると、後は山道の大山寺だった。中腹の一帯には立派とは言えないホテルに混じって、当時は宿坊が3、4軒は残っていたので、思いつくまま選んだ宿坊へ宿を請うと当夜の宿泊客は俺一人だった。大山は山岳信仰の霊場で、平安時代になると西の天台宗の一大中心となって、座主も比叡山から招かれてやってきたらしい。本来そこに集まった僧侶が修行し宿泊する場であった「不老山坊」という宿に夕方5時頃着くと、日本海を一望する向きに建っていて、汗で肌にへばりついた服を脱ぎ捨てひと風呂浴びて上がると、えも言われぬ夕日が日本海に今落ちようとしていた。
 頭上の見事な欄間(らんま)を支えた長押(なげし)には、阿波野青畝(せいほ)の<炎炎と大山開く夜なりけり>と、林芙美子の<駿からず遅からず大山の秋>の句があり、手元には冷やの地酒と調理人の作った海の幸があり、目前には日本海が広がって、横には酒を付き合ってくれている女将がいた。そんな環境を独り占めして5時間◯◯分、時計が明日になりそうだったので、目覚ましを3時に合わせて床に着いた。
 目覚ましで起きると一瞬止めたい心境だったが、思わず目に入った枕元に置いてあった一筆添えた女将のおにぎりを腰に捲くと、中国地方一の大山の頂上は、この中腹から後1000mだった。日の出前の頂上目指して、真っ暗な山道を歩き始めた。