Flaneur, Rhum & Pop Culture

『天使の死』と『天使の復活』の大衆論
[ZIPANGU NEWS vol.145]より

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 今でこそジャズのライブを聴きに行くと、アストル・ピアソラのタンゴ・ナンバーが演奏レパートリーにすんなり入っていたりするが、これはまだピアソラ・タンゴが世間に知られてなかった近過去の話だ。
 1994年3月7日の毎日新聞紙上に、西麻布「ロマーニッシェス・カフェ」で行われたライブの模様が文化欄に掲載された。前月2月19日にベースの斎藤徹をリーダーに、ピアノの板橋文夫、ギターの廣木光一、ベースの飯田雅春が奏した「プレイズ・A・ピアソラ」をライブ・レポートした中川ヨウ(当時燿)の記事だった。一介の店のライブが記事になるのは素直に嬉しかった。しかも、俺が圧倒的な牽引力で身柄を拉致されていたピアソラだったから尚更だった。引き出しか何処かに閉まってあるのだろうが出てこなくて、細かくは記憶がないので残念ではある。
 だが、タンゴの、否音楽の偉大な革命児・アストル・ピアソラが1992年7月4日に亡くなった訃報を、新聞の死亡欄の数行から知らされた如く、1年半以上も経ったというのに、一部の強烈な支持者を除いて、旧来の古典タンゴに閉じこもるタンゴ・サークルも含めて、まだ日本の文化土壌には認知されてなかったのだ。1957年に神話を題材にした舞台のために書き下ろした、『天使の組曲』の一曲に『天使の死』がある。ピアソラの作曲&奏法に、バンドネオンのスタッカートで凄まじく追い込んで嵩まっていくフーガ技法があると思うのだが、それをよく活かした一曲『天使の死』に自分を追い込んでしまったのだ。
 『Tetsu Plays Piazzolla』という齋藤徹(bs)、廣木光一(gt)、吉野弘志(bs)、田辺義博(bandoneon)、古澤良治郎(per)によるアルバムがある。1990年にいち早くピアソラを取り上げた作品だ。1986年に齋藤徹はブエノス・アイレスにタンゴ修行に行くのだが、行く前から廣木光一も田辺義博も師匠・高柳昌行のもと、ジャズのインプロビゼーションの技法や楽理とともに、タンゴに熱く接近していたので、周辺がどうだろうと俺にしては至極当然に受け止めた。先走って言うと、1998年に齋藤徹は『AUSENCIAS』というバンドネオンに小松亮太、ピアノに黒田京子を加えた更に激しくピアソラを解体再構築したアルバムを出すまで、ずっとピアソラに憑依され続けていて、二枚のアルバムを創った時に限らず、俺もライブ会場を提供するなど、或る日、出来上がったカセットテープのデモ版について、「前のデモテープは録り直したので絶対掛けないでね、新しいこっちを掛けてね」などの忠言を守りながら、まあそんな横に居続けていた訳である。
 『ラ・ジュンバ』はオズワルド・プグリエーセの1946年の曲だが、そこで多用された基本リズムの「ジュンバ」は、形であり精神のことをいうのだが、どういったら良いのか、不協和音を起こすというか、音楽を壊すというか、ノイズというか、はずれていくというか、新タンゴの命というか、大いなる取り憑かれる要因になっている。ピアソラの新タンゴもこの「ジュンバ」を踏襲していて、横に流れる美しすぎる旋律に流されずに、リズムを縦に刻んでいくから聴く者を興奮させるのだ。齋藤徹のプレイズ・ピアソラ解釈は、この「ジュンバ」が宿命的に持っている、否持たなければならない不良性、やさぐれ性の高貴さの雫を貰っていて、ベースもピアノも弦楽器から打楽器に変じて、弦のみか本体だろうが何処だろうが、叩きまくるのだ。そこへバンドネオンがソリッドにスタッカートで割り込むと、ギターがしゃしゃり出ずに一歩引いたような音を出して、絶妙な香辛料で格別な味に仕上げる。
 廣木光一が1995年に出したギターソロ・アルバム『TANGO IMPROVISADO』はタンゴ・ギターの垂涎の貴重版だ。昨年暮に欲しいという友人がいたので問い合わせると、やっとこさ2枚を探し出してくれて、完全に絶版になってしまったが、◯◯産コシヒカリとでもいうか、一音一音が粒立っていて、メロディとリズムが縦横自由に行き交いする、倍音世界に身を耽溺させる。見事に弾きこなす人は他にもいるだろうが、見事に弾きこなすとタンゴじゃなくなってしまうだろう。故に廣木光一の『タンゴ・インプロビザード』は、本質的な意味において<見事なタンゴ>なのである。
 新聞記事を書いた中川ヨウが、刷り上がったばかりの新聞を読みつつ嬉しがる俺に言った。「大木さん、この記事、実は担当編集者から文句言われたの、こんな地味なこと書いても、誰が読んでくれると思うのかって」と。ピアソラは命を擦り減らし、ピアソラの子供たちは命を削っても、<マスという大衆>次元まで下った文化しか新聞も受け入れないのかと、又もや鼻白んだことが甦った。