Flaneur, Rhum & Pop Culture

『ラストタンゴ』ブエノス・アイレスで始動!
[ZIPANGU NEWS vol.142]より

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 先々月10月下旬、本当に久し振りに西麻布にあるライブハウス「スーパーデラックス」に行った。石橋英子がダーリン・グレイ(b)とクリス・コルサーノ(ds)を呼んで、数日前に「レディ・ジェーン」でライブをやった関係もあるが、坂田明が両外国人と「ちかもらち」というバンドを組んでいて、そこに踊りで田中泯が入るというプログラムに興味を持ったからだ。終演後、久し振りに田中泯に挨拶をすると、「最近どう?」と言ったので、「先月アルゼンチンから帰ってきたのだけれど、メニエルになったらしく、いきなり世界がクルクル回るんだよ」と答えると、「おお、70にして大木さんもタンゴダンサーになるしかないよ」と冷やかした。すると、もう一人の70の坂田明が寄って来て、「そりゃあ、そうだよ」と追い討ちをかけた。すると、「面白いから、そこに3人並んで」と石原淋が言って、写真を撮りつつ「70×3は210だね」と言った。と、笑いはマクラだけに止める。
  2015年9月5日(現地時間)午前10時30分、俺が乗ったボーイング777はエセイサ空港の滑走路に滑り込んでいった。目的は新譜アルバムのレコーディングだった。初めての南アメリカ、初めてのアルゼンチンだった。何も分からない。先ずブエノス・アイレスの空気を吸う。朝日新聞社の週刊誌「アサヒグラフ」の編集者だった、30数年前からの旧知の高野ヒロ&マーサ夫妻のハイヤーでの出迎えを受けて、約30分で市街のホテルに着いた。タンゴ・デ・マヨという名のホテルは、五月のタンゴという意味で五月通りに面している分かり易い立地にあった。ヒロ&マーサはタンゴ好きだが、目的がタンゴのレコーディングに来たので、夫妻が選んでくれた洒落た気遣いだった。30数時間の一人旅の疲労は感じなかったが、先発していた日本人五人組「LAST TANGO」の柴田奈穂(vln)、江森孝之(gt)、田ノ岡三郎(acc)、西村直樹(bs)、マヤン(vo)の夜のライブが、夫妻のブッキングにより仕込まれていたので、昼食後に仮眠を取った。幅の方が広いベッドに怖じけることなく数時間眠れた。その後も楽隊も俺もヒロ&マーサのお世話になりっ放しだったが、当夜のタンゴカフェ「PISTA URBANA」には歩きたい衝動に駆られ、初めてブエノス・アイレスの路地を踏みしめる。
 ジャズやクラシックにも強いピアニスト&編曲のニコラス・ゲルシュベルグをゲストに、タンゴの国で初のライブを大拍手の中終えると、時計は零時前だった。「うちのライブが零時からなのにまだ来てない?!」と、別の場所から電話が掛かってきた。何と夫妻は二カ所ダブルのワンマン・ライブを仕込んでいたのだ。大慌てで車にベースや楽器を積み込み、タクシーに分乗して次なるタンゴカフェ「LA TRAMA」へと移動。結局1時半の開演にも客はブーイングもせずに、非本場のイエロー・タンゴに惜しみない喝采を送るのだった。この二ヶ所のライブ体験が、どれほど主目的であるレコーディングに向かうモチベーションを高め、肩の無駄な力を抜いたか計り知れない。
 9月8日がやってきた。主目的のレコーディングという仕事があったからブエノス・アイレス行きが実現した、俺にとっても大事な日だった。5月通りの地下鉄はA線だ。2駅北のアルベルト駅で降りて一筋裏の通りに目指す「Estadio ION」はあった。鉄の扉と内ドアを開けると、奥行きの深い一角にだだっ広いスタジオを構えていた。一番古いスタジオで名のある場所とは聞いていた。目を疑ったのが、個室になったブースは基本的に無い代わり、平台に吸音・遮音版を貼って中をくり抜いてガラスを埋めた板を立てて、角度を変えてそれぞれのブースを作るのだ。モニターも自己調整できない。コントロール・ルームもデジタル機材は揃えていても相当古そう。現代化システムに慣れた俺には、半可通ながら不安がよぎった。
 果たしてそれが、3日間で11曲を録る荒技は、ピアノのミゲル・アンヘル・バルコス、指揮編曲のフアン・カルロス・クアッチ、ピアノ&作編曲の鬼才ニコラス・ゲイシュベルグの急遽ゲスト出演があって、大満足で終えた。俺の帰国後、ミックスに立ち会ったギターの江森孝之は、アナログのアウトボードを多様に駆使したミックスだったと、音の良さに唖然となって報告した。
 三日目に、そんな古色蒼然としたスタジオの壁の写真にピアソラばかりか、メルセデス・ソーサを見つけた時の衝撃は、一瞬の戦慄が走った。

LAST TANGO『La Usina - LAST TANGO en Buenos Aires』
2015年12月25日発売
価格:3,000円(税抜)
株式会社ビグトリィ / BIGD-1002