Flaneur, Rhum & Pop Culture

『ラストデイト』の存在と非在とのっぺらぼう
[ZIPANGU NEWS vol.135]より

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 4月18日の土曜日の夜、茶沢通りの道路沿いで或る出版社の女性とバッタリ会った。行政が一方的に発表した下北沢の再開発に対して、市民組織「54号線の見直しを求める下北沢商業者協議会」を立ち上げた2005年頃、運動に何故勢いがあって方々のジャーナリズムの取材攻勢も盛んだったのかと言えば、未就職だった大学生や大学院生の助けが多いに働いて、音楽、映画演劇、学界の著名人を動かしたことに大きな一因があったことは否定できない。その頃知り合った久山めぐみは東大大学院生だったが、数年が経って出版社・文遊社の編集者になっていた。
 2011年のある夜、“レディ・ジェーン”のテーブルの片隅で、久山めぐみが俺に言った。「あのーッ、曽根中生さんの本を出したいって思ってるんですが・・・大木さん、会ったことありますか?」「うむ、数人で会ったことはあるが、他の監督みたいに個人的な知り合いじゃないな、でも、今年の湯布院映画祭に突如現れて騒ぎになったことは知ってるよ」と俺。「そうなんですよ、それで思いが募ったんです」「なるほど、面白いかもな、世間は注目すると思うよ」「ですよね。それで大分映像センター内で、曽根中生映画上映を企画してるんですよ。私行って曽根監督に話して来ます。」「そう、俺も広島で『寺山修司展』の初日レセプションに行く用事があるんで、大分まで足を伸ばしてみるよ」「じゃあ、湯布院映画祭の伊藤雄さん、藤重さんに、行くって言っておきますね」「ああ、そうしておくれ」と、衝動的に大分に行ったのだった。
 今年の松が明けた翌日の1月8日、甲斐よしひろソングにインスパイヤーされた、5本の映画短編集『破れたハートを売り物に』の内、青山真治監督『ヤキマ・カナットによろしく』の撮影が“レディ・ジェーン”であった。主役はスタントに失敗したスタントマン役の光石研だった。その光石研のデビュー作は1978年、曽根中生監督『博多っ子純情』だった。2011年8月26日、その年の湯布院映画祭のメイン・ゲストは光石研だった。当然、光石研の出演映画が特集された。その中に『博多っ子純情』が上映されると知った曽根中生監督は、何年も映画界から去っていた事情から、矢も盾も堪らず自ら映画祭に連絡を取ったらしい。湯布院映画祭実行本部はいきなり火事場のような騒ぎになったまま楽日を終えた。そこに思いを投入したのが彼女だった。
 4月18日、数年前と同じ“レディ・ジェーン”のテーブルの片隅で、俺は久山めぐみに訊いた。「曽根中生本のすったもんだは収まったのか?」と。<奇才・曽根中生の全人生/全映画>を記載した500ページに及ぶ「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」は、2014年8月17日に晴れて刊行されたのだが、タイトルからも予測可能な、謎に満ちた失踪〜行方不明〜生死不明から、20数年振りに映画の渕から現場へと、報道陣の前に現れた人のことだから、内容を巡って侃々諤々が起こったのだ。「うちは攻撃電話や苦情は然程なかったけど・・他も収まった様です」と彼女。大分行きの打ち上げ酒場で会っていた、インタビューアーの野村正昭が多方から攻撃されて、返り血を浴びていたのは、映画誌で知っていたがひとまず落着した。そこで話題を変えて「思い出せば、文遊社の山田さんが“レディ・ジェーン”にインタビューに来たのが1993年だったよ」と俺が言うと、「ああ、阿部薫の本を出したときですね」と彼女が答えながら、当時を知る由もないが<問題本を発行する出版社>という自覚はあるらしかった。これは出版社へも彼女へも賛辞のつもりだ。
 1993年8月23日、文遊社の山田健一はインタビューにやって来た。1978年9月9日に亡くなったアルトサックス奏者・阿部薫の自伝「阿部薫1949-1978」の出版のため、生前の故人を知る人として、俺もインタビューを受けることになった。享年29歳、阿部薫は「既に20歳の時、演奏の高みに登りつめることから出発してしまった阿部を、私は何度でも地獄へ突き落とす」(間章筆)という、天使が狂気しているような異型の男だったので、通常なら文字原稿で渡すのだが、文字にするのが億劫だったというか、考えると想念がくるくる回って、格好つけた嘘を書きそうな感じがしたことを憶えている。それでインタビューにしたのだ。阿部薫が一番好んでいたエリック・ドルフィが「空中に出した音は、二度と返ってこない」と喝破したように、ではないが、口答で吐き出した言葉は訂正できないからその方が対阿部的には潔かったのだ。
 1978年の年明けから夏の終わりまで、9月9日に突然死するまで何回だったかは忘れたが、阿部薫はよく“レディ・ジェーン”にやって来た。「ジンロックを。それとエリック・ドルフィの『ラスト・デイト』」「分かった。いずみは?」二人ともとっくに逝っちまったが、解放されてるんだろうなあ。