Flaneur, Rhum & Pop Culture

ジョルジュとシルヴィと、あとは幻
[ZIPANGU NEWS vol.130]より

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 さる事情により当欄の原稿〆切りは過ぎていて、それを更に伸ばしてもらった最終〆切りが、後数時間後という日の午前5時に机に向った。前々号で1992年11月30日の或る出来ごとを書いたのだが、その日はバレエダンサーのジョルジュ・ドンが亡くなった日でもあったので、偉大な彼のことを偲べば良いと思い込んでいた。「待てよ、ジョルジュ・ドンの追悼は書いたことがあるな」としばらく書いてハッとした。慌てて調べると、やはり既に2011年当94号に書いてあったので、愕然としてペンが止まった。こんな事書くこと自体呆れたものだが。
 ネタ探しで新聞受けから新聞を取って拡げると、通販やスーパーの「スエードタッチシャツ2枚5,990円、ポリエステル100%中国製」や「4色組トレーナー5,900円中国製」と広告が、大手不動産屋の土地譲れのチラシが、10数年前に厚生年金の改ざんや社保庁汚職事件が未解決なままのくせに、世田谷区がよこす年金管理の指導用紙が折ってあり腐心する。本紙に目を転じると、「GDP連続マイナス」「アベノミクス空転」と書いてある隣りの記事に、「オスプレイ5機540億円 防衛庁購入」とあって、呆れて更に気分が悪くなる。と、テーブルから一枚のハガキがポロッとこぼれた。見ると1980年頃に下北沢でブルースを歌っていたマキという男からのライブ案内だった。裏を返すと、「ツキジ フィッシュ マーケット ブルース」と書いてあって、ああそうだったよな、まだ築地の職人やってたんだと懐かしさが甦ると同時に、「エミちゃんへ」と俺の妻宛になっていたので、ムッとして、失われていない気障なブルースマン振りに敬意を払って迎えてやることにした。一枚のハガキが気分を変えた。
 1992年11月30日、世界を魅了しまくったダンサー、ジョルジュ・ドンが死んだ。というより、俺にとって短くない人生の中でも、比肩し得ないバレーダンサーの死だった。その年、7月に亡くなったアストル・ピアソラ、8月に亡くなった中上健次に続く衝撃だった。と言ってもジョルジュ・ドンの何を知ってるというのか。先日来日して、ズービン・メータが指揮したイスラエル交響楽団のグスタフ・マーラーのかの『交響曲第五番嬰ハ短調』を聴いても、モーリス・ベジャール振付けで踊ったジョルジュが浮かぶより、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』の俳優ダーク・ボガードの方が浮かんできてしまう。すべての印象がジョルジュ・ドンが踊ったモーリス・ラヴェル作曲の『ボレロ』なのである。勿論、ベジャールの振付けのそれではあるが、振付けを見事に踊ったという印象を遥かに越えて、ジョルジュが<神の啓示>を受けて踊っている身体そのものに憑依されてしまうのだ。
 最初に取り憑かれたのは、1981年、クロード・ルルーシェの映画『愛と哀しみのボレロ』だった。5回観た。亡命したルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラーたちの実在の物語りにフィクションを混ぜ合わせた、モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨークの4都市の物語りが同時進行して、戦前戦後に亘る生と死の3時間を越える壮大な大河ドラマなので、巨大なステーキを食わされているようなものかも知れない。だが、今の日本の3,000円か2,000円ポッキリ、飲み放題食べ放題の貪ではなくて、監督の手料理が行き届いている満漢全席かも知れない。その極みが、ポンピドー・センターに終結した因縁生起の男女の前で、最期の17分間の『ボレロ』を踊り続ける圧巻のジョルジュ・ドンなのだ。指揮するのは勿論カラヤン。涙に堪えられる者はいない。当映画を巡って論争になった時も、「例え3時間近くがださかろうが、最後の17分が良ければいい映画なんだ」と突っぱねた。
 1990年3月22日、上野文化会館で行なわれた、チャイコフスキー記念東京バレエ団公演「モーリス・ベジャールの夕べ」に、ジョルジュがやって来た。映画から約10年経った分、鋼のような身体はやや衰えていたが、円熟度と生で観るライブ感は、映画のそれの比では無かったことは言う迄もない。そして同じ年、ジョルジュの後を継ぐように、初めて東京で『ボレロ』を踊った女性ダンサーがいた。今やバレエ界の女王で、東京バレエ団と踊り続けて170回を越えるシルヴィ・ギエムは、皆が東日本大震災から去って行く状況下の2011年にも、逆にやって来て『ボレロ』を踊った。
 今年8月14日、「私は2015年の終わりに踊ることを止めます。そして日本でさよなら公演を行う予定でおります」シルヴィ・ギエムはそう言って、衝撃が走った。「本来、男が裸で踊って汗を垂らすダンスがベジャールの『ボレロ』だ」と言う者がいる。俺もそう思う節もある。だからと言って、ジョルジュを継いで26年、来年最後の花道に向おうとする彼女にそんなことは言えはしない。