Flaneur, Rhum & Pop Culture
「酒飲みには二つのグループしかないのだから」とマイケルは言った
[ZIPANGU NEWS vol.118]より
LADY JANE LOGO











 当拙筆は今号で109号を数えるが、元々1985年に西麻布に開店した「ROMANISCHES CAFE」がマンスリーで発行する冊子のタイトルを<遊民と酒と軽文化>としたもので、当欄のタイトルは焼き直し。でもそんなことはどうでも良いことで、その冊子にはライブ・プログラムの告知と、不幸にも執筆を名指しされた斯界の著名人たちのエッセイを主とする他、当時の文化の有り様や社会現象を皮肉った「乱用ことわざ辞典」、酒場ならではの酒やカクテルに纏わる裏話や音楽話を連載した。世界の歴史上の人物には酒と関わった武勇談や艶談や失敗談は余るほどあって、書く素材としては困ったことはなかった。その上時はカフェバー・ブームで自由化の波に乗った各種の酒が、世界の港から日本にどんどん入って来つつあった。酒場の幸せな時代だった。
 1995年に本となって出版された序で俺自身が書いている。すなわち、<“水の惑星”といわれる地球で、二十億年前、初めての有機体が生まれ、その酵母様のものは発酵しある分泌物をつくる。後、光合成の力が起こり、放たれた酵素は酢に変化する。かくて、コリン・ウィルソンは著『わが酒の讃歌』の中で「あなたは生命のもっとも原初的な形体の副産物を飲んでいるのである。これらの形体が二十億年の長きに亘って存在し続けてこなかったら、酒というものはなかったのだ」と指摘し、実際の起源としては、「東南アジアの初期農業体の発見のBC八千年以前が可能」としている。>と。つまり、一万年前に作られた麦は器の中で麦芽となって発酵し糖と炭酸ガスに分解して、太陽エネルギーは生体エネルギーを生んでいたのだ。ギリシャの酒神を待たずとも脳を刺激し想像力を豊かにし精神を高揚させる生体エネルギーを。
 1988年になって冊子に新たに「DRINKS IN CINEMA」という映画の中の酒の名シーンを語る欄を作った。洋画だとジャン・ギャバンのフランス映画だろうがハンフリー・ボガードのアメリカ映画だろうが、絶妙に酒が出て来て場を締める。ただ銘柄が分からなくて再び映画館に足を何回運んだことか。それがジンなのかウオッカなのか、バーボンなのかスコッチなのか、タバコも同様種類と銘柄まで明らかにしてやっと主人公に近づけるのは当たり前のことだ。日本映画だと、吉村公三郎監督の『夜の蝶』(57)は川口松太郎原作の銀座のクラブのママ同士の戦いを描いて、パラダイスなるジンとアプリコットのカクテルが出てくる。川島雄三監督の『しとやかな獣』(62)の 詐欺師一家の拝金生活の棚には、レミー・マルタンやドランブイがあってジョニ黒のハイボールで悦に入る。これらは非常に稀なシーンで、心情描写として酒のシーンを撮った昔の映画でもサントリー角瓶か麒麟かサッポロの大瓶ビールくらいでまず種類がない。ちょっと新しい映画ならバー・シーンは頻繁に出てくるけれど、ボトルと氷と水がセットで出てくるか、「いつものヤツ」と主人公に言わせるかどっちかだ。嘘っぽい最低のシーンで、勿論<生命の水>は現れない。
 ところで、昭和三十年代スタンドバーが出現しハイボールが愛飲された。カクテル名の由来を言えば、野球が盛んな日米の<高めに直球=HIGH BALL>は打ちごろ(飲みごろ)という説、気分がHIGHになるBALL(弾丸)という説、丈の高い(HIGH)容器(BOWL)に注いで飲むという説があるが、昨今居酒屋で大流行のハイボールはどの説だろうか?<遊民と酒と軽文化>を出していた1986年ころ、ロンドンのサヴォイやパリのリッツ、ヴェネチアのハリーズ・バーやシンガポールのラッフルズに行った気になり、いつもポケットに忍ばせていたのが「ポケット カクテル&バー・ブック」だ。著者マイケル・ジャクソンは言う。「酒の揃った一軒のバーでも同じ意味の遍歴はできよう。つまり、愛飲家には識別できる酒好きと見境ない酒飲み、二つのグループしかないのだから」と。そして、カウンターの目の前の酒が何処で穫れてどう醸され、どうやって運ばれて来たのかと酒と対話をするようになる。
 こんなことを思ったのも、先月11月15、16、17日の三日間、イギリスの作曲家でありリュート奏者だったジョン・ダウランド生誕450年記念コンサートをやったからだ。同時代人だったW・シェークスピアとの関係を妄想するとスコッチ・ウイスキーの起源が気になった。つまり、1172年、ウスケボーなる酒。1492年、麦芽を与えアクアヴィット作る。1627年、ヘイグ家ウイスキー蒸留。偉大なケルトの地に<生命の水>が生まれようとした頃を旅する。