Flaneur, Rhum & Pop Culture

もうすぐ三十歳を迎えるのだが
[ZIPANGU NEWS vol.7]より
LADY JANE LOGO












 「旧来のものはやらない。実験的であること。未完のものであること。完成品は博物館へ行けばいい」と、ジャズ・ライブに関して、かって雑誌のインタビューに答えて言ったことがある。そんな生意気なことが言えたのも(勿論そう思っているからではあるが)八十年代の半ば頃からのことで、店でジャズ・ライブをスタートした当初は手探り状態だった。
 七十五年一月に「レディ・ジェーン」はライブの発想など微塵もなく、酒と映画とジャズの三骨子で開店したが、その後三年経って現在の形に改装して、徐々にライブをスタートさせる気分になった。ところがピアノもアップライトを置くのがせいぜいの広さの店内で、カルテットやクインテットのハード・バップを演るのだが、下北沢では初めてのジャズ・ライブでそれなり格好は良かったのだが、何か空間的な納まりが良くなく無理しているようだった。他所の店でやっていることをわが店に持ち込んでも鮮かではない。そこで極端に演奏者を減らして、ソロかデュオ、トリオ止りにした。ここでいうデュオやトリオというのは、ヴォーカルとピアノのそれ、或いはピアノトリオのそれではなくて、器楽奏者だけのデュオやリズム楽器なしのトリオといった変則セットを同じ無理なら試してみようとしたのは、かって小劇場運動に身を置いていた己れのなせるゼンエイテキ悪戯だったかも知れない。どんな前頭葉を刺激する<前衛>でも、良い質の<伝統>を兼ねそなえてなければいけないのは当然のこと。だが当時多くのミュージシャンは怖気づいていた。そして酒場としての「レディ・ジェーン」は、オーセンティック・バーを目指していた。──例えば、レイモンド・チャンドラーはフィリップ・マーロウがギムレットを注文する時。“ローズのライムジュースだ”と言わせている。かの偉大な酒の権威マイケル・ジャクソンのレシピにもそうなっている。店でも最初はやっと捜してローズ社のライムジュースを使っていた。良くない、甘ったるい、まずい。何でも伝統や権威が良いものではない。時に否定しなければ! ところが、たった一軒さえも下北沢に生ライムを売っている店は当時無かった。かくて超高だったライムを求め交通費かけて紀伊国屋スーパーへ日参したのだった。否定も変革も金がかかる。
 実験ではなくて実験的。客は総じて安心して聴けるサウンドを求めていた。云いかえれば、その演奏者におのれの音楽的尺度をあらかじめ予断しておいて、その通りだったら安心し、そうでなかったら不安や不満を露呈する。逆に演奏者側にもそういう手合いが多かった。そんなバカな話はないだろう。そこで、時として演奏者の食い合わせが悪くてバッド・トリップしたりしつつ、試行錯誤の名指し出演者による変則マッチは開始されたのだった。尺八、三味線、琴、ヴァイオリンがジャズ楽器に入り乱れて幾星霜、ジェーン嬢も今年一杯で三十歳になる。