Flaneur, Rhum & Pop Culture
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『悲しき天使』の『翼』はタケミツメモリアル
[季刊・映画芸術にて連載中]


VOL.23

 梅原猛がシェークスピアの性格悲劇と違って、ギリシャ悲劇は「人間は本質的に傲慢という悪徳を持ち、その悪徳ゆえに滅びざるを得ない」運命悲劇だといわれると書いていた。草薙の剣を愛人のミヤズヒメのもとに置いて伊吹山に向ったヤマトタケルは「とうとうヤマトタケルも人間を滅ぼすもっとも重い病にかかったか」と山神に言われて死んでいった、梅原猛脚本、市川猿之助のスーパー歌舞伎で、白鳥となって歌舞伎座を高く舞い上がったのを観たのは二十年前程だった。昭和の人三島由紀夫は、昭和天皇の二・二六事件の将校への対応と、戦後の象徴天皇としての身の置き方に憤怒していて〈傲慢〉のヤマトタケルを絶対神として崇めていた。三島由紀夫は制度としての天皇制を求めたが、近年は天皇どころか平民の大臣どもが傲慢の幅を利かすようになってきている。すなわち、教育基本法改変、防衛庁の省昇格決議から核武装論に始まる憲法論議、十二月二十五日には、年度内駆け込み的に四人の死刑囚の刑が断行された。“人や子は国のものじゃない”長く育まれてきた文化が斬り捨てられようとしている。蜂起を整えよ。

 さて、昨秋「ぼくの昭和ジャズ喫茶」と題する一冊の本が送られてきた。わが「レディ・ジェーン」も紹介されているのだが、俺の親しいベルリンに住むピアニストの姉高瀬アキに、店で出会った人たちのことを聞きながら、弟の著者高瀬進は「何故か『悲しき天使』のメロディが甦っていた」と、本人訳の歌詞を載せていたのが嬉しかった。「悲しき天使」の原題は「Those were the Days」といって、“あの頃は……”といった意だ。一九六八年ツィッギーにTVで見い出されて、ビートルズのアップル・レコードのシングル第一号で発売され、世界で三百五十万枚、日本で九十五万枚売れた傑作だが、十八歳のメリー・ホプキンがウェールズ語で歌うソプラノの瑞々しい響きと、ロシアの漂泊の民ロマのクレズマーを原曲とする憂愁を湛たえたメロディが心を揺さぶった。というより当時では珍しい、状況劇場の唐十郎作の「少女仮面」を早稲田小劇場の鈴木忠志が演出した舞台で象徴的に何回も繰り返されて流れていたのがかの歌だったので、舞台と曲がセットで強烈に記憶されている。

 高瀬進はジャズにも関わるが、銀幕舎を主宰して全国の消えゆく映画館を巡り巡って流浪する。それこそ漂泊の著述人で、その痕跡は数冊の著書で伺い知ることができる。

 彼が「悲しき天使」を持ち込んできたその直後、大森一樹監督の新作『悲しき天使』がシネマアートン下北沢で封切上映された。八月の湯布院映画祭で招待上映され、東京国際映画祭の「ある視点」に選ばれたこの作品は、松本清張原作の名作『張り込み』(57 野村芳太郎監督)の人物配置や話の流れの基本骨子を踏襲しつつ、時代や人物の状況を独自に設置して、刑事(高岡早紀)と犯人(山本未來)とその元恋人の妻(河合美智子)の三人の微妙な関係を描いて、さながら〈その後の恋する女たち〉であったが、渋い中年刑事(岸部一徳)の哀愁もあって、日本映画が今は失ってしまった映画を感じた。タイトルを『悲しき天使』にしたからには、当然流れるのが先の歌だが、韓国の女性歌手Ryuに歌わせている点が、耳に残ったチェコ・フィルの音楽と共に、音楽に対する大森監督のらしさと正当性ではなかったか。

 更に十一月下旬、舞台「タンゴ・冬の終りに」でも「悲しき天使」に出会った。清水邦夫の最高作が蜷川幸雄演出で二十二年振りに再演された。日本海の寂れた町の映画館に弟を訪ねて暮らす元人気俳優が、自らの過去を追い詰め発狂していく。幕が開くと舞台となる映画館の座席を埋めた観客が熱狂している。どうやら客席側で上映中の映画は『イージー・ライダー』(69 デニス・ホッパー監督)で、丁度銃殺シーンらしい。あの頃、ボロ雑巾みたいな街に「悲しき天使」はいつも流れていたのだ。

 話は転じるが、「昭和ジャズ」や「昭和映画」で音楽に思いを馳せる時、武満徹をおいてないだろう。彼も又昭和の悲しき天使なのだ。ここで言う武満音楽とは、「ノベンバー・ステップス」で世界を唖然とさせたり、「弦楽のためのレクエイエム」といった演奏会用の現代音楽ではなくて、歌ものとか映画用小品のことだ。小室等の語る「武満さんがまだ食えなかった頃、その才能に目を付けたアメリカの財団に呼ばれた当人は『デューク・エリントンに会わせるなら行く』といって断ったんだ。それくらいジャズが好きだった」という武満徹のことだ。

 〈悲しき天使〉高瀬進がやって来た時、「レディ・ジェーン」で小室等の初ライブをやった。切り口は和田誠が訳詞した有名なジャズ曲を日本語で弾き語るだった。共演のさがゆきも訳詞した十数曲を持ち寄った。一本のギター、二人のヴォーカルという試み。さがゆきの絶妙なフォローとつっ込みもあって、〈ジャズ歌手でない人が歌う日本語歌詞のジャズはこうなる〉で始めたが、十一曲を終えた時、二人は当然、客席も暖かな空気が充満して歌う聴くの関係が溶けあっていた。そして二部、武満徹の曲「明日は晴レカナ曇リカナ」で小室等が裏話をバラす。武満徹が黒澤明監督の『乱』(85)の映画音楽を依頼された時、岩城宏之指揮、札幌フィルの音録りで札幌のホールにいたそうだ。それまで黒澤明から何度も「マーラーの**のように」と言われ、「それならマーラーを使えば」と思いつつ我慢していた武満徹は、ホールの録音現場で又言われて、遂に尻をまくって出て行ったそうだ。その時、「黒澤組のテーマソングが出来たよ」と言って落書きをするみたいに作った曲だった。“昨日の悲しみ今日の涙 明日は晴れかな曇りかな”とこれだけ。天皇に向って中々やるね、徹クン。「小さな空」は古い作詞作曲だ。“青空に錦のような雲が悲しみを乗せて飛んでいった”この二曲は遡る六月、タケミツメモリアル(東京オペラシティ)で、没後十年トリビュートで演奏された曲だった。後もう一曲「翼」という曲は“はるかなる空に描く自由という字を……”何とした素朴さだ。二人の身体は解放されて、ギターの弦一本に歌唱を委ねるフリーミュージックではないか。武満徹の平和への希求、自由への希求をより浮かび上がらせて、歌の持つ力を信じられると一瞬思えた。「翼」は渡辺香津美のシリーズ「ギター・ルネッサンス3」のアルバムタイトルにもなっていて、「時代を通り過ぎたある大切な存在へのトリビュート」を、極北のディーバ吉田美奈子が力まず軽まず歌っている。又当人が好んだギター作品の奏者となると荘村清志が正当であるが、若手の天才鈴木大介の手にかかると、渡辺香津美を向うに廻してジャズやフリーへ架橋しようとする。鈴木大介がシカゴ派のギター&歌のブランドン・ロスとニューヨーク在のベースのツトム・タケイシと組んだアルバム「夢の引用」がそうだ。「ヒロシマという名の少年」「狂った果実」「伊豆の踊子」他有名な映画音楽集だが、ほぼ原曲を換骨奪胎してノスタルジックを追随している。

 更に十二月二十三日、民謡の伊藤多喜雄、坂田明、村上ポンタ他を広島に連れて、俺が企画したコンサートのリハーサルでのこと。谷川俊太郎の詩もあって、武満作品で一番有名な曲と思えるのが「死んだ男の残したものは」だ。色んな人が歌っている。だが坂田のそれは武満の作曲を排して歌ならず絶叫朗読であった。人を陥れる度合、衝撃度に於いて比肩し得なかった。サックスを前奏した坂田明が喉をつぶして声を発す。美しいピアノの旋律を遮って村上ポンタのバスタムが響き、言葉が腹の奥へと押しやられる。シンバルの連打は光線でサックスのむせびは慟哭だ。ヒロシマのサックス吹きはそう演るのだ。果たして、本番で客席に衝撃が走ったのは言うまでもない。こうして〈悲しき天使〉たちが、偶然に偶然を重ねてうるさく羽ばたいた半年だった。