Flaneur, Rhum & Pop Culture
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「人生よありがとう」を歌いたい
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.20

 泰山鳴動金一匹のトリノ・オリンピックが終ったと思ったらWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で喧噪は続いた。自国の国際試合に自国の審判員を就けることを繰り返したばかりか、最初の予選組合わせから明からさまな策略を弄した主催国アメリカは敗れ、死に体の瀬戸際から復活した日本が世界一のキューバを破って優勝した。カストロ国家評議会議長の檄を受けても、〈先進国〉の金と技術で武装されたスポーツ大国日の丸日本に、精神主義キューバは敗けたのだ。キューバに対する経済制裁を四十年以上続ける米政府は「キューバに金銭が渡らないことを条件に同国の参加に同意した」らしく、カストロ議長は大会前から選手が勝ち得るべき賞金の、ハリケーン「カトリーナ」被災者への寄付を主張したが、「大会収益のうちキューバの取り分はなく、寄付する金も無い」と米大リーグ機構はにべもない。こんな状態で参加する国際大会がよくあったもんだ。一方三月二十八日夜のニュース番組で、韓国政府は映画上映に関するスクリーン・クォーター制縮小を実行する方針だとするニュースが流れた。この動きに対して韓国の監督、トップ俳優が、他国の攻勢に自国の映画を保護すべく街頭デモ等反対運動を行なってきたことは衆知の事実だ。ここでいう他国とは、「アメリカの覇権主義と戦うことだ」とアン・ソンギ初めチェ・ミンシクやチャン・ドンゴンも、アメリカを名指しで断言する。韓米自由貿易協定締結を名目に、BSE牛肉と映画を一緒くたに秤に掛けるというアメリカのグローバリズムがここにもある。イラクは益々解析不能の混迷化していき、こんな鈍くノー天気な日本が恐ろしい。
 時は同じ三月中旬、下高井戸シネマで『ブコウスキー:オールド・パンク』(03/監督ジョン・ダラガン)を観た。この石のようにゴツゴツして暖かいドキュメンタリー映画を観ながら、『バーフライ』(87/監督バーベット・シュローダー)のハリウッド流インチキ振りを改めて思い返すと同時に、約一年振りに来た同映画館で前回観た『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04/監督ウォルター・サレス)のことに思いを馳せていた。浮かぶ言葉は一九六七年四月、エルネスト・チェ・ゲバラが戦闘の地ボリビアからハバナの中南米人民連帯機構総会に送った、「二つ、三つ、更に多くのベトナムを作れ。これが合言葉だ」という最後のメッセージのリフレインだ。この映画は、五二年医学生だった二十三歳のエルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)と、先輩のカーキチのアルベルト(ロドリコ・デ・ラ・セルナ)と二人による、三九年式ノートン五〇〇CCの中古モーターバイクで故郷アルゼンチンからチリを北上して、ボリビア、ペルー、ベネズエラまで八ヶ月一万キロの旅を描いたドキュメンタリィ・フィクション映画だ。それは社会の不正や差別、世界の病(エルネストはハンセン病の医学生だった)を体験することであり、大人になってやるべきことを捜す通過儀礼の旅でもあった。アルゼンチンの伝説的な国民歌手だったカルロス・ガルデルの「ミ・ブエノスアイレス・キエリド」がやさしく流れ映像に潤いを与える。旅の順にエピソードを綴って退屈な個所はあるが、作られたゲバラの日記ではなく、或る青年の等身大の旅を描いた動機をサレス監督(『セントラル・ステーション』98/ベルリン映画祭金熊賞、主演女優賞)は、「これは南米大陸に関する本だ。その景色や人々について書かれている。一方モラルや政治的選択に関する本でもあり、発見の旅の本でもある。失われた十年間と呼ばれる八〇年代以降、私たちは何かを失い理想や世界の変革を求める心を失った。しかしこの本にはその心があった」と語った。
 六〇年代〜九〇年代に、パナマ、グアテマラ、エルサルバトル、ホンジュラス、ドミニカ、ハイチ、ボリビア、ウルグアイ、チリ、アルゼンチンと、ことごとくアメリカによって軍事クーデターや内戦を起こされた。社会派監督コスタ・ガブラスの『戒厳令』(73)はウルグアイの、『ミッシング』(82)は七三年のチリのクーデターを描いた作品もある。圧殺の下で囲われ者になっていったラテンアメリカの闇とアイデンティティの回復は、日本人の我らの想像できるものではなく、困難や思いの深みを知るにはまだまだ分け入って行かねばならない。
 『ラテンアメリカ/光と影の詩』(92)はフェルナンド・ソラナス監督渾身のロード・ムービーで、最南端フェゴ島のウスワイヤに暮らす高校生マルティンは、父を捜してやはりチリ、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、メキシコと、マウンテンバイクの自転車で長い旅をする。七六年アルゼンチンでクーデターが起きると、死刑判決を受けたソラナスはパリへ亡命するのだが、革命家ソラナスにとってバイクの少年は〈ラテンアメリカ〉という父を捜すエルネストの生き写しだったに違いない。ついでに言うと、エルネストは二十一歳の時アルゼンチン国内四五〇〇キロを自転車で旅行している。そして映画が完成した九一年法廷である証言をしたソラナスは銃撃され、原題である「エル・ビアヘ 旅」を作曲して少年の深い思いと共鳴する音楽を響かせた、監督が尊敬する偉大な友アストル・ピアソラは、九二年カンヌ映画祭に出品された年に逝った。
 『モーターサイクル・ダイアリーズ』や『光と影の詩』がノンフィクションなら『永遠のハバナ』(05年公開/監督フェルナンド・ペレス)はフィクションのようなノンフィクション映画といえる。ハバナの朝が明けてダウン症の少年は祖母と学校へ、修理大工の父親、ダンサーやピエロ、靴修理工は女装パフォーマー、市井の人々の暮らしを追う中に母子の別れや故国キューバとの別離がある。数年前ライ・クーダーとヴィム・ヴェンダースがバンドマンを組織した『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(00)は圧倒的に流行ったが、明るく陽気で思慮は薄いがみんな仲良しといった片面を切り取ったような、やらせのドキュメンタリー風であったのに対し、『永遠のハバナ』は反物語的に通常の生活を淡々と切り取る。〈祖国か死か、われわれは勝利する〉スローガン通り、五九年アメリカの傀儡だったバチスタ政権が倒れキューバ革命がなった時、エルネストはチェ・ゲバラとなってアルベルトをこの地ハバナに呼んだ。八年振りの再会だった(そしてアルベルトは病院長として今でもハバナに健在だ)。
 それから暫くしてチリで新しいひとつの歌が生まれた。『モーターサイクル・ダイアリーズ』のチリ・ロケに同行した当時八十一歳のアルベルトが、サンティアゴで歌った「人生よありがとう」という歌がそれだ。『南米、歌い継がれた命の賛歌』というビデオ映像があって再び旅の話だ。メキシコの十九歳の新人歌手マリアは、チリの偉大な音楽家ビオレータ・パラ(六七年死去)と彼女が作詞作曲した「人生よありがとう」の足跡を訪ねる旅に出た。それは歌手だった母を訪ねる旅でもあった。七三年九月首都サンティアゴはCIAの工作で火の海となり、空爆を受けた大統領府からアジェンデの死体が発見された。ビオレータの魂を継承した国民歌手ヴィクトル・ハラも殺された。市民は「人生よありがとう」を歌って抵抗し牢獄に繋がれた。隣国アルゼンチンの民衆の代弁者であり世界の歌姫メルセデス・ソーサがこの歌を取り上げ世界に広めると、ジョーン・バエズも歌った。今南米で誰もが知る歌はラテンアメリカをひとつにしたか? 今スペイン語で歌われる最も美しい曲を三世代目のマリアが歌う。世界は美しくなっただろうか?
「人生よありがとう」
 六七年十月八日、佐藤訪ベトナム阻止羽田闘争で京都大学の学生山崎博昭が殺された日、チェはボリビア山中で捕まり、九日処刑された。十日死体公開。両腕を切り刻まれた。誰か更に二つ三つロシナンテの肋骨を欲しくはないか!?