Flaneur, Rhum & Pop Culture
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米と醤油とインター・ナショナル
 [季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.10

 一九八〇年代終り頃か九〇年代に入っていたか、そのころNHK・FMラジオで、“西洋音楽と異国音楽との混合=ハイブリッド音楽”といったような内容のディスク・ジョッキーを篠田正浩監督がやっていたのを聴いた。我々に身近なハイブリッドな音楽として演歌を挙げ、「何処をとっても西欧の方法論で作られているにもかかわらず、耳に聞こえてくるのは、正に演歌でしかない」と同様に、「黒人の霊歌に西洋音楽が徐々に入ってきて、やがてジャズになった」と言って、マヘリア・ジャクソンの「聖者の行進」とガーシュインの「アイ・ガット・リズム」を選んだ。ジャズの場合、西洋音楽に触れることが出来た優先的黒人のクレオールたち(入植者のフランス人やスペイン人と黒人奴隷の混血)に依るところが大きかったのだ。そして最後に、現代音楽界の巨星オリィヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」を挙げた。四八年に作曲のこの曲は、たたみかけるピアニズムや鳥の啼き声を模した音に、或る時は二八年生れの電気メロディ楽器のオンド・マルトノが、或る時はバリ・ガムランがソロで加わる極彩色の官能的で東洋的エキゾチシズム溢れる、メシアンの言葉を借りれば「生と死の遊び、あらゆる物を超越した無限の喜び」となる。篠田が「西洋音楽と異国音楽の境が判らなくなっているとするなら『トゥーランガリラ交響曲』は典型の曲だ」と言うも言わぬも、俺も充分納得するのだった。このメシアンの影響を多分に受けていたのが故武満徹だった。
 篠田正浩はデビュー二作目『乾いた湖』(60)で、新人の脚本・寺山修司と共に無名の音楽・武満徹を起用したが、処女作となる「弦楽のためのレクイエム」は既に発表していた。“安保反対!”を連呼するデモ隊に「お前らブタだ! 俺は違う」と、テロリストを夢みる手錠の主人公を、突き放すようにファンキー・ジャズが流れて、フィルム・ノワールのようであり歪んだ青春があった。ところが、『涙を、獅子のたて髪に』(62)に続く問題作、松竹が半年オクラにし、映倫の成人指定を受けた『乾いた花』(64)での武満の音楽は大いに変貌していた。生きる指針を失ったム所帰りの中年男も、エキセントリックな若い女と彼女に付きまとう影のような不気味な男と、画面は死を弄び、そのアナーキーな空気を写し取るかのように、メロディを持たない前衛的なノイズ音楽が傷口を広げた。次いで、初の時代劇『暗殺』(64)は奇妙な印象を残した。たった四隻の黒船のせいで日本中が浮き足立った幕末の時代、智略謀略を用いて勤王浪士隊を作った清河八郎の話だ。新撰組の生みの親でもあった。透徹した視野を持った政治の人だったのか、文武両道に秀でて策が顔に出すぎる立身の人だったのか、死の影を負ったこの謎の人物は、坂本竜馬のように勤王佐幕両派から狙われ暗殺された。武満は、笛や琵琶や鉦の音が短く切れる音と、尺八の長音を生かしたスリルと揺らぎを交錯させて、時代の修羅場を鋭利に切り取った。
 三年後の六七年、ニューヨーク・フィルの委嘱作品として小沢征爾指揮で初演された「ノヴェンバー・ステップス」は、日本初のハイブリッドな記念碑的作品の誕生だった。武満自身の《十一月の階梯に関するノート》に曰く。「尺八の名人がその演奏のうえで望む至上の音は、風が古びた竹薮を吹き抜けていくときに鳴らす音である。まず聴くという素朴な行為に徹すること。山荘に伝わってくる物音……」とあり、かくして、尺八の響きがオーケストラの和音の密集を誘い、琵琶の揆音がオーケストラの楽器群を震わせた。多作家の武満の映画音楽は、篠田作品なら『心中天網島』(69)他多数あり、他監督作品は枚挙にいとまない。
 『暗殺』が回天の時代なら、最新作は、満州事変の前年昭和五年の上海からベルリン、そして敗戦を迎えるまでの戦時下の昭和日本を描いた『スパイ・ゾルゲ』(03)だ。四四年十一月七日、コミンテルンからスパイとして派遣されたリヒャルト・ゾルゲと、近衛内閣嘱託から南満州鉄道嘱託になっていた尾崎秀美が、ソヴィエトのスパイとして処刑された。以後、GHQと政府は両名を奸賊として封印した。肝心の日本でさえ、NHKと松本清張の昭和史以外、とんと触れていないこの事件は大いなる謎だった。――三時間は瞬く間に過ぎ、あるゆったりした観後感を抱えた。ゾルゲ役に怪しげな眼差しが足りない、人間関係がクールで感情の発露が芝居じみている、話が散乱している等思ったが、その背後にブ厚い昭和の風景が見えたのだ。あらかじめ敗北が見えている人たちをそこに置いて依ったのだ。清河八郎もそうだが、時代が置き忘れた忘れものに視点をあてるこの志が好きだ。昭和とCGのミスマッチに向ったドン・キホーテのロマンチシズムとでも言っておく。
 篠田監督の〈最後〉の作品の音楽は、武満ではなくその弟子だった池辺晋一郎なのだが、劇中の随所に多用された「アリモノ」の内、武満の「弦楽のためのレクイエム」が二度流れる。一度目は二・二六将校の処刑シーンで、二度目は劇が終ったタイトル・ロールのバックだ。そして、ラスト・タイトルの最後、「この映画を武満徹に」と文字が出て、一監督と一音楽人の熱い関係に俺は思いを馳せるのだ。そこで、レーニン像の倒壊やベルリンの壁の崩壊のラストシーンの曲が「イマジン」だったのは、どうにも引っ掛った。その直前の「インター・ナショナル」の流れを受けて「イマジン」だったのは更に引っ掛った。これじゃ、「インター・ナショナル」に露払い、「弦楽のためのレクイエム」に太刀持ちをさせた「イマジン」ではないか!? 因みに、武満徹は「インター・ナショナル」の有名な編曲を残していて、荒井晴彦が監督した『身も心も』(97)のラストに使われているが、こちらは池辺編曲だ。
 六四年二月、ケネディ空港にビートルズが降り立った時、アメリカの黒人のR&Bから出たはずの他国のロックン・ロールで、黒人のジャズもブルースもゴスペルも壊滅したのは、ちょっと前のベトナム戦時下の出来事だ。日本においても、現代音楽の先駆者で武満の大先輩にあたる柴田南雄が、カリスマになったシュトックハウゼンに、「(日本の伝統音楽も含めて)その歴史やそこに生活する人々との関連から厳しく断ち切って、その楽器や合奏や音組織だけを抽象し、それを西欧の前衛音楽に吸い上げる、ということは……」と苦言を呈している。俺が現場で録音しようとすると、演奏をやめて帰ろうとする黒人音楽家が今でも多々いるということを信用するだろうか?
 「イマジン」 について俺の私見は先の号で述べているので省くが、冒頭で書いたFMラジオでやはり篠田監督が言ったことだが、「もはや、どこの音楽、日本の音楽とかに分けないで、音楽として聞くのが幸せじゃないか」ということが、「イマジン」を挿入した根拠とするなら、文化人にありがちな衒学趣味に陥ったと言わねばならない。日本人と昭和を解明しようとした監督自身がいて、明らかに「インター・ナショナル」に向ったゾルゲと尾崎がいて、何より「インター・ナショナル」を編曲し、和製ハイブリッド音楽に向った武満徹がいて、勢揃いしたのであれば余計悔いが残るのだ。