Flaneur, Rhum & Pop Culture

酒とジャズと映画の日々。
[Shimokita Style 2007.2月号]より
LADY JANE LOGO












──大木さんが、この「レディジェーン」をやろうと思った理由はなんだったんですか。

大木 僕は大学で東京に出てきて、ずっと芝居をやってたんだけど、74年の秋になって、今度の正月が来たら30になる──僕ぐらいの歳の人間は数えで考えちゃうんです(笑)。やばい。就職なんて一日もしたことないし、つぶしきかない男だと自分自身が一番分かってる。で、僕が一番経験してるのは「映画とジャズと酒」。映画は無理だから、ジャズと酒にして「ジャズ・バー」をやろうと思ったんです。ほんとに、正直これが基本。それ以上は考えられなかったんですよ。どんな店にしてやろうとか、どういうジャズをかけてやろうとか、そんな発想はまったくない。とにかくジャズと酒(笑)。映画とかジャズを語り合って、たまに喧嘩でもいいじゃないかっていう、そういう場を作りたいと思ったんです。

──お店の感じはいまと変わらないんですか。

大木 最初の内装は、舞台美術家にやってもらいました。いまとは違うんです。で、そういう手作りな、舞台美術的なタッチが面白いって評判になって、いろんな人たちがくるようになったんです。当時はいまより狭かったんですけど、「山手線」とは言わないですが、隣に誰が座ってるのか分からないぐらいでしたね。

──80年に大木さんは下北沢の昭和信用金庫の向かいに「スーパーマーケット」という劇場を作られてますね。

大木 その前の79年に「下北沢音楽祭」というのをやったんです。いまの本多劇場のあるハイタウンが空き地だったんで、本多一夫氏にかけあって、そこを提供してもらいました。これを組織したのがみんな飲み屋なんですよ。飲み屋のやつらを5人集めた。「下北沢ロフト」の平野、ビートルズばっかりかけてた「独」の石坂独、あずま通りにあった「アダムス・アップル」の松本容子、「ペーパー・ムーン」の福本和男と僕の5人。それと当時カルメンマキのマネージャーで、いまUKプロジェクトの藤井淳を入れて、5人+1。でも、イベントやるっていったけれども、イベントってどうやるのって感じでした(笑)。みようみまねでやりましたね。1日目がジャズデイ、2日目がロックデイ。二日間で5千人来て大成功でした。こういうことがあって、石坂独と僕で、これを引き継いで常打ち小屋みたいなものにしないかってやったのが、「スーパーマーケット」だったんです。

──「スーパーマーケット」は音楽もやれば芝居もやるという場所だったんですね。

大木 いろんなことをやりましたね。当時寄席に出られなかった円楽一門をやったり、小劇場だと流山児の演劇団とか東京ヴォードヴィルショー、東京乾電池、永井愛、大石静の二兎社の前身とかもやりました。竹内銃一郎率いる斜光社改め秘法零番館の旗揚げ作品「あの大鴉さえも」も印象深いですね。

──当時、下北沢に”劇場”はあったんですか。

大木 どこもないです。「スーパーマーケット」が80年で、スズナリが81年、本多劇場は82年の秋。

──どのくらいやってらしたんですか。

大木 5年間だったかな。体力不足でした。組織体力の。あと、劇場が4Fにあったので階段で重い機材を運ばなければならないっていうのもあったのかな(笑)。決定的だったのは、突然、「官」が入ってきたんです。消防署、警察、保健所が。消防署が「階段の幅を広げろ」って言ってきた。テナントで借りてるんだからできるわけがない。あと、店内のスプリンクラーを倍にしろって。保健所が言ったのはトイレの増設。警察はなに言ったのかは覚えていない。そういうのが一挙に来た。不信感は募ったけど閉店を余儀なくされたわけです。 

──閉館後、すぐの85年に六本木にロマーニッシェス・カフェを開かれますね。

大木 正確には西麻布です。ブルー・ノートが出来る全然前でした。レディジェーンを作ってから10年目だから、なんか作りたいと思ったんですけど、下北沢の地価がウナギ昇りに上がっていた時期で、テナント料の高さにびっくりして、西麻布にしたんです。ロマーニッシェス・カフェはレストラン・バーで98年まで13年間やりました。場所柄か、世界からジャズ界では有名な人が飛んで来てくれましたね。世界中のアヴァンギャルド・スタイルのジャズミュージシャンはたいがい来たんじゃないかな。ここでは芝居はやらなかったけど、黒田征太郎さんの音楽とライヴペインティングみたいなのは何十回もやりました。

──大木さんは、いまもイベントをプロデュースされたり、シネマアートン下北沢のプランニング顧問をされてますがこれからのプランなどは?

大木 下北沢が再開発されつつあるいまの段階、ロックのライヴハウスはいっぱいあるんだけど、僕が嗜好するような音楽を展開している空間がどこにもない。ジャズとかロックとか、そういう固定したカテゴライズされたものじゃなくて、もっとダンスパフォーマンスもでき、詩のライヴリーディングもできたりとか、もちろんライヴペインティングもできる、そういう提案型のクロスカルチャーしたものを展開できる空間を作りたいですね。

──それは下北沢にですか。

大木 下北沢に限りたいと思います。そういう再開発ならいいんじゃない、って思いますね。

■shimokita style
http://webfreestyle.com/shimokitastyle/index.htm