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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.20
P・J・クラークスで「ランデブー」

ツィゴイネルワイゼン

 一九八三年、冬のニューヨーク。僕は西五十五丁目にある「マイケルズ・パブ」という店に入ったとき、この店はネクタイ&スーツで気取らないとまずいんだ、とすぐ気付いたので、トレンチコートを着たまま、ステージから半分隠れたカウンターに座った。倍サイズもあるマティーニ何杯かと、スノビッシュな空気でクラクラになり、ちょっと店選びが違ってたかなと自問しつつ店を出た。
 一ブロック西の二番街を渡るとすぐ角に、妙に気をそそる店が目についた。古くて素っ気ない外装だが、通り過ぎようとしたら磁力を感じた。風の冷たさに酒気も覚めていた。
 扉を開けてスタンディング・カウンターに陣取ると、歪んだボトル棚や、棚の間に飾られた禁酒法時代の写真が目に入った。そして巨体の老主人が、仁王のように立っていた。「この店は十九世紀末からあるんだ。ポール・ニューマンが来るんだぜ。スティーブ・マックィーンも来てたよ」と自慢げに、僕に説明してくれる気のよい中年アメリカンの話を肴に、カクテルのマンハッタンとラム酒を飲んだ。帰り際、表に看板が何も出てなかったので、マッチをもらって店を出た。
 ところが、地下鉄に乗ってそのマッチを見ると、外装写真のデザインだけで店名が書いてないので、謎として残ってしまった。
 翌年の春だったか、キリン・シーグラム社が新発売のウイスキー・キャンペーンで、マンハッタンの五十店くらいのバーのマッチを並べたパンフレットを作った。マッチの下に各店名と住所が書いてあり、順に目を送ると、記憶に鮮やかなその店のマッチが出てきた。僕は「やっぱりあそこは選ばれた店だよ」と納得して店名を見ようとすると、何と「UNKNOWN」、つまり不明と書いてあった。
 その年の九月、またニューヨーク行きが決まった数週間前だったか、渡辺貞夫の新譜「ランデブー」を手に取ると、見覚えのある店内写真がジャケットを飾っていた。おまけに渡辺貞夫のわきに、あの仁王のような老主人が、和やかに腕組みしているではないか!
 九カ月ぶりにその店を訪ね、カウンターに止まると、老主人はやはりムッと立っていた。「マスター、ここで日本のジャズマン、サダオ・ワタナベが撮影したでしょう。この店は『P・J・クラークス』というんだ」。そう僕が言うやいなや、老主人はニヤッと笑い、ラムのショット・グラスを僕の前に滑らせた。「イッツ・オン・ミィ」。初めて口を開いた。

「アサヒグラフ」1998年5月29日号掲載