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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.19
「インターナショナル」の遠い記憶

ツィゴイネルワイゼン

 三月末日の夜、東京ドームのコンサートを聴く予定にしていたが、地方から戻ってきたので、乗り換えの御茶ノ水駅に、開演の二時間前に着いてしまった。それで、寄る辺なく辺りを散策した。大学を出て以来、二十七、八年ぶりだった。
 校舎は駅ビルや企業ビルに建て替わって、様相を一変させていたが、込み入った路地に昔、喧々ごうごうした安っぽい居酒屋、中華料理店、お洒落だった画材喫茶がそのままの屋号で、当時の学生街然としてあった。そして、象徴的だった東方正教会のニコライ堂が、今もでんと構えていた。
 歩いていて何故かすぐ、大島渚が一九六七年に監督した「日本春歌考」の一シーンが浮かんだ。当時のその界隈を、黒い国旗を掲げたデモ隊が“起て、飢えたる者よ”と「インターナショナル」を歌いながら、葬列のようにのし歩くシーンだった。そこに現実の不確かさに自己喪失していく大学受験生たちが、性的妄想を抱えつつ、“ひとつ出たほいの……”と歌う春歌がかぶさっていった。大学や家族という共同体と、性という個体を対置させた奇妙な質感をもった映画だった。
 その「インターナショナル」を聴いた別の映画を、昨年の秋に観た。「日本春歌考」製作当時、現実の受験生だったはずの脚本家、荒井晴彦が初監督した「身も心も」だ。全共闘の時代、バリケードの内にいた男二人と女二人の現在を描いた作品である。
 夏目漱石の「門」よろしく、親友の恋人を奪った男は教授になっている。その妻は妻で、教授の元恋人だった自分の親友を裏切り、仮面の夫婦を続けているが、心の負い目が傷になって、関係は壊れている。奪われた側の男女は、奪った側の過去の傷口を塞ぐという謀(はかりごと)と知りつつ関係を結ぶが、焼けぼっくいに火がついたりして、絆は輪舞のように幾重にも繋がる。はからずも「日本春歌考」と同様、性の執着と、家族という共同体幻想が緩やかに解体していく。そしてエンド・ロールで、武満徹編曲の「インターナショナル」が、ギターソロで清冽に流れるのである。
 ロシア革命を体験したジョン・リードの実話を映画化した「レッズ」で、ロシアに渡ったリードが初めて演説をした際、怒号のように流れた「インターナショナル」は、まさしく本来の革命歌だったわけだが、同じ曲がまったく別種の鎮魂歌にもなるのだった。

「アサヒグラフ」1998年5月22日号掲載