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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.16
「ガイヤ・ラプソディ」の遠心する力

ツィゴイネルワイゼン

 去る三月二十一日、大阪の東道頓堀倉庫に、新しい実験工房が出現した。自称カキバカ・黒田征太郎の作業場であると同時に、創作活動や表現行為を通して、コミュニケーションの場を作っていこうとする解放区でもある。
 人と人とが手を繋ぐ無限大マークをモチーフにして、“絵と音と心の永久運動”を目指す「コミュニケーション・サーカス3・2・1」プロジェクトは、ちょうど一年前の三月二十一日、大阪・ミナミのはずれの倉庫から始まった。このライブ・ペインティングには、数多くのミュージシャンが参加し、“コオベの八日間イベント”へと進展していった。絵と音を通して、施設の子供たちや仮設住宅の老人たちとも思い思いの交流をした。
 そして一年が経ち、新しい実験工房で、またライブ・ペインティングが行われた。開演前、黒田征太郎が「今は線引きされる世の中で、何でもできそうで、実は何もできない。この前も公園で描いてたら規制された」と言ったとき、会場の若い一女性が「描けるよ!」と声を掛けた。黒田征太郎は彼女をステージに呼び寄せ、しばらく二人の対話になった。「君、絵描いてるん?」「うん」「で、公園があるの?」「探せばあるんよ」「どこ?」「大阪城公園からホールに行く途中」「へぇ、そうか」といった具合に、既にライブ・コミュニケーションが始まっているのが、大阪的で気持ちよく、このプロジェクトの趣旨でもあるようだ。
 行為が表現であって、絵描きとして表現を終えた作品(形骸)には、本質的に価値を認めないという黒田征太郎の姿勢が、ライブに向かわせるのだろうと僕は思っているのだが、そんなことよりライブは何でもありで、人とぶつかるからスリリングであり、快感なのだ。
 演奏が始まった。近藤等則のトランペットと、山北健一の太鼓が、地球の殼を剥がすようにマグマを呼び出し、ときにハレー彗星のように宇宙の粒子となって、炸裂音を遠心する。対して黒田征太郎は、三枚の大キャンバスに描いては塗りつぶし、新しい色をもって前の風景を封じ込める。かと思うと、絵の具で盛り上がったキャンバスをヘラや爪で削って、下に埋まった記憶の色を掘り出す。さらにその上に缶から流す絵の具は、生きた溶岩のようである。
 こうして出航した、古ぼけた東道頓堀倉庫にできた実験工房は、「ガイヤ・ラプソディ」の重低音に、必死に震えていた。

「アサヒグラフ」1998年4月24日号掲載