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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.10
アルビノーニの「アダージョ」追想

ツィゴイネルワイゼン

 18世紀初頭、アルビノーニが作った「アダージョ」というバロック音楽の代表曲がある。バイオリンの甘美な旋律と、荘厳なオルガンの響きが、神聖な世界を醸し出す。青ではなく蒼い世界なのだ。

 この曲に引っ張られ、僕は追想を始める。

 日活がロマンポルノへ路線変更して間もない1972年1月、山口清一郎監督のデビュー作「恋の狩人」が、ワイセツであると警視庁に摘発された、80年の無罪判決まで、この日活ポルノ裁判は続くことになるが、シリーズに固執する監督は、第二弾「恋の狩人・欲望」で、前作同様、主演した田中真理に、ワイセツ罪で逮捕される女子大生ストリッパーの役を与えていることからも、表現の弾圧に対する姿勢は明らかだ。共同幻想が崩壊しつつあった73年、女子大生のアナーキーな心をえぐるように、「アダージョ」が鳴り、画面は漆黒に輝くのだった。

 当時、僕が率いていた小劇団の女優が、田中真理と俳優養成学校で友達だったので、彼女はたまに劇団に顔を出した。

「おい、真理。エロスの女闘士だって!?」
「ヤだ、からかわないで!」

 彼女の主演第三作「愛のぬくもり」も摘発されて、すっかり全共闘学生のアイドルになったのも、同時代ならではの現象だった。

 時代がひとつめくれた80年、僕のやっていた下北沢の小ホール「スーパーマーケット」で、「あの大鴉さえも」という芝居を上演した。それまでの劇団名「斜光社」を「秘法零番館」に、演出の竹内純一郎は銃一郎と改名した、新たな出発の一作でもあった。

 作品は20年代の著名な美術家マルセル・デュシャンの機械的立体作品「大ガラス」にインスパイアされた不条理劇だった。3人の男優が抱え続ける大ガラスは透明で目に見えない。実体のないもの、つまり幻想を後生大事に抱えているわけだ。その滑稽さや切なさ、不安を「アダージョ」が印象づけた。

 ちなみに、岸田戯曲賞を取ったこの演目は、何度か再演されている80年代の名作だ。

 ほかにも「アダージョ」は、理由不明で逮捕された青年の恐怖を描く、カフカの不条理小説を映画化した「審判」や、前線に出征していく二人の若者の悲劇を描いたオーストラリア映画の傑作「誓い」、蜷川幸雄演出の「近松心中物語」での雪の道行きシーンなど、各所に姿を現すが、崩れゆくものの死への賛歌を、典雅に振る舞っているようである。

「アサヒグラフ」1998年3月13日号掲載