top
top top
絵:黒田征太郎 文:大木雄高
top











VOL.6

毒薬の「また恋したのよ」


 東京・麻布のテレビ朝日通りに造った「ロマーニッシェス・カフェ」という店名は、一九二〇年代のベルリン・カフェ文化を代表する店の名前を頂戴したものだった。で、八七年、表敬訪問に一人でベルリンに旅立った。

 当時の西ベルリンの中心地、ヴィルヘルム皇帝記念教会堂の裏、ブダペスト街とクーダムが交差する場所に超モダン建築のヨーロッパ・センターがある。その壁の一隅に「ロマーニッシェス・カフェ」の名前を見つけるが、特に感慨はわかない。まずは、ヴァルター・ベンヤミンが「遊民の回帰」でいうぶらぶら歩きをする。

 ぶらぶら歩きの数日後、本屋で埃にまみれた「ロマーニッシェス・カフェ」の写真集を手に入れた。めくると、威厳をもって時代を先導していたカフェの全景が現われた。テロとインフレの二〇年代、画家や小説家、芸能人や娼婦、それに西欧的刺激を求めるロシアや東欧からのボヘミアンたち(後にジゴロになるビリー・ワイルダー少年もいた)の牙城として「ロマーニッシェス・カフェ」は、さまざまな軽文化の発信源となった。

 翌日、東ベルリンに向かう。紅白のペンキ塗りの木製ゲートが進路を塞ぎ、ソビエト兵が銃を持って立っている。その怖さが往時を想起しやすくさせる。戦災をまぬがれた街や建物から、「オペラ座の怪人」ではないが、クルト・ヴァイルやロッテ・レーニャが一瞬飛び出てきそうな幻覚をみる。

 この偉大な作曲家と歌姫が活躍したのが、二〇年代のキャバレーだった。ロンドンやパリより倒錯志向だったベルリンを、「世界のバビロンと化した」といったのはステファン・ツヴァイクだが、キャバレーの本質は風刺の精神だった。カフェで論議を重ね、演目や配役を練り、政治キャバレーで右翼を皮肉り、文学キャバレーで旧文化の解体を叫ぶ。

 このキャバレーの花形役者としてしだいに人気を博し、映画「嘆きの天使」のローラ役を勝ち取るのが、マレーネ・ディートリヒだ。腰に手をあて、相手を見下げるスノッブなデカダン・ポーズ。そして歌う「また恋したのよ」がトーキー最大のヒットになったのは、ナチの影が忍びよる一九三〇年だった。

 帰国直後、沢木耕太郎が「いま、ロバート・キャパ伝を訳しているが、「ロマーニッシェス・カフェ」が出てきたよ」と上気して言ったのは、偶然すぎる符号か。

 嗚呼、少年キャパもローラの虜だったか!

「アサヒグラフ」1998年2月13日号掲載