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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.2

「ツィゴイネルワイゼン」の謎


ツィゴイネルワイゼン

 「水蜜桃は腐りかけているときがおいしいの」といいながら、舌で妖しく舐めまわす主演女優・大楠道代に象徴されるように、死の影にとり憑かれた世界を描いた映画「ツィゴイネルワイゼン」('80)は、監督・鈴木清順の久々の復帰作だった。

 妄想で死を弄ぶ原田芳雄。大谷直子と大楠の間でうろたえるドイツ語教授を演じたのは、この作品で初めて俳優への道をスタートさせた故藤田敏八監督で、飄々としたイロニカルな演技は、さすが東大から俳優座養成所出身という経歴が物語っていた。

 「ツィゴイネルワイゼン」は、十九世紀の生んだ最高のバイオリニスト、パプロ・デ・サラサーテの名曲だが、十歳のときにイサベラ女王の前で演奏し、そのとき授かったストラディヴァリウスで世界の幾万の聴衆を感動させた。

 ところで1920年代の機械文明の発達は、レコード化されたジャズが大型ライナー(汽船)で大西洋や太平洋を渡り、巨大カフェ文化の中で人々が狂舞するという都市状況を現出した。だが、その感受性の野放しは、ダダイストたちのキャバレー的エログロや、アナ・ボル(アナーキー・ボルシェヴィキ)の政治的過激となり、忍び寄る世界恐慌を前に、時代の光と影を産み落とすところとなった。やがて都市に軍靴の響きや腐臭が漂いはじめる。

 そんな時代感覚をよく伝えるこの映画は、内田百ケンの二十年代を背景にした小説「サラサーテの盤」のアイデアを中心に構成されていた。サラサーテは亡くなる四年前の1904年に録音したSP盤「ツィゴイネルワイゼン」に、謎の言葉を残しているが、その明かせない言葉への妄執が内田百ケンの小説になり、さらに“死と生”を往きかう幻想の清順映画になったわけだが、当然、そのSP盤が劇中にも効果的に使われている。超絶技巧の演奏とノイズの醸しだす時代性が相まって、哀愁と悲愴感好きの日本人は、この作品にことのほか狂喜し、巧みに仕組まれた映画的迷宮世界に墜ちていった。

 映画の仕掛け人は、荒戸源次郎プロデューサーで、資金繰りから製作、宣伝、配給まで、すべて自給自足で行った方法論は、それまでの映画作りの常識を覆す革命的なものだった。

 八十年、自前の映画館、東京タワー横に鈍く光る銀色ドームは、人さらいのうまい移動祝祭のサーカステントのように妖しく、長い間居座り続けた。

「アサヒグラフ」1998年1月16日号掲載