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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.1

「乙女の祈り」の森を抜けて

 二十世紀も残すところあとわずか、今日の音楽を始め幾多の文化を考えようとして温故知新するとき、その発生と原型は一九二〇年代にあるというのが、僕の観点であり主張なのだ。ここでいう二〇年代は、歴史的時間の二〇年代というより、二〇年代なるもの。開かれた感受性の時代という意味である。それはおいおい述べていくとして、自己紹介がてら僕の音楽原体験を吐露するところから、この祝祭考を始めたいと思う。

 一九四九年、元祖・公害の地で有名な渡良瀬川流域の疎開先のド田舎で、ある夜更けに四歳の小僧が目覚めると、父も母も外出したらしく、いない。つのる不安の中でひらめいたのが、一度父親に連れて行かれた田舎駅前に一軒だけあるバー(飲み屋)だった。
 「そこへ行こう!いや、途中に大きな森がある。この間、肝だめしでさんざ恐ろしい思いをしたばかりだ……」

 森が近づき一気に駆け抜けようとした途端、どこからかあのピアノ曲「乙女の祈り」が聞こえてくるではないか。疎開地にだって金持ちはいる。だれかお姉様が弾いているのだ。ピアノは、お化けを呼び出す笛や太鼓にしか聞こえない。恐怖の館の悪魔の曲だ。亡霊も出てきた。森はまだ真ん中だというのに!

 その「乙女の祈り」が、映画「スローなブギにしてくれ」の中で使われていた。九年間も映画が撮れず、九七年八月に逝った名監督・藤田敏八の代表作の一つだが、自由奔放な少女に振り回されて家庭崩壊した中年男が、こっそりと幼い娘のコンサートに行くシーンで、なんとこの曲を演っているではないか。僕はいっきょに過去の森に引きずり込まれ、三十数年前の妄想は、映画の世界に戻してくれなかった。また、チェーホフは「三人姉妹」の終幕で、新天地モスクワへと旅立つ娘イリーナの未来を、「乙女の祈り」に託していたが、僕の場合は初手の出あいが悪魔の闇だ。タイトルが同じだというこじつけだが、三年前に見た、並外れた想像力を持った二人の少女が、血塗られた狂気を実行に移す恐ろしいニュージーランド映画「乙女の祈り」の世界に、むしろ近い出あいである。

 疎開先の森を抜けたあとはどうしたって?必死でたどり着いたそのバーの扉を力を込めて開けると、父の背中がそこにあった。号泣する小僧に、「なんだユタカ、まあ飲め!」。そこですべてを吹っ切るように、グラスに入った赤玉ポートワインを一気にあおったのだった。

「アサヒグラフ」1998年1月2・9日号掲載