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鳥泣き魚の目に涙
VOL.95

 伯耆大山寺の宿坊で、夕日の沈む日本海を眺めながら卓袱台に並んだ自然の幸を食すーゆったりとした豊穣さがこそばゆい。衣笠山の大文字を望む妙心寺の宿坊は「食は生命を支えるもの。食を作る、食べるは坐禅に並ぶ禅道」として作物に生を与え食に向うのだが、京野菜の豊富さが卓を飾り一汁一菜の質素さは無い。この自然の贅も水の惑星に生きていればこその恵みという訳で、総ての地球生命は水に関わり進化してきた。
 貯水池の濁水を流すのに竹を束ねた竹ソダで処理する方法を発見したゼネコンは「巨額の薬品を処理設備なしで済む。竹は山にいくらでもあるから」とC・C(カントリークラブ)建設に胸を張る。近郊の渓谷で、キャンバーの流す中性洗剤が魚を痛めているのに、水辺に寄れる護岸修正して神田川に鮎を飼う計画中の極楽トンボの都知事。丹沢山中も大山の頂上も丸ハゲたっだし、金権渦巻く白馬の山は終末的狂乱。ー遠く3600年前に一大文明として栄えたミケーネの遺跡の歴の無惨を思えば充分な恐怖のはずだ。山には鳥の鳴き声もなく、エーゲ海は『魚が出てきた日』の死の青さ。
 水の都日本は、いつから水に対する畏怖や感謝の心を失ったのか?日照りの香川県民や百姓の問題ではなく、水はスーパーやコンビニで造られるものではない。

(妙心寺派エビアン)

(1994.6記)