top top
top top top











砂の底から玉が出る
VOL.80

 今、横須賀や福生、六本木やハワイで外人に貢ぐ女達がいる。
 半植民地化した米軍の町で犯される女達を見て私怨を燃やしたチンピラのリーダーは、混血児狩りに命を張る―'70年安保のその年の映画『野良猫ロック セックスハンター』は私闘を国家間のメタファーとして把え、憎悪の過激化は差別の顕在化だった。昔の<イエロー・キャブ>は、貢がず、アグレッシブで、自らの不良性を認知していたね。
 この映画の脚本を書いた故大和屋竺さんの「追悼の会」が、3月中旬に催され、多くの方がその死の衝撃を新たにした。
 A・アイラーが背中に咆哮し、時代のるつぼ(メルティング・ポット)新宿は、ジャズが反吐していたアナーキーな街だった。日活を退め若松プロに入った彼が、'65年、監督第一作を撮った。ベトナム帰りの報道写真家を主人公にした『裏切りの季節』だ。以後、出口シナリオ作品も、監督作品も、映画的体験は全て新宿に集約された。
 新宿は、云わばボクラ(当時はそういっていた)のクロス・ボーダーの基地だったが、'60's文化を換骨奪胎した様な現代の間の抜けた有様に、シュールでアナーキーで鋭い切り口を持つ大和屋としては自ら時代を見切ったのか!?

(テレサ野田)

(1993.3記)